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消耗

いやはや、大騒ぎですね、小学校の件。

首相の奥様が公人か私人かで揉めてますなぁ。

あほらし。

小さい子に論語を教えるのは危ないってチラチラ書いてきましたが。

やはり、、、といった感じです。

論語そのものに問題はないんです。

要するに、それを利用する人達が問題なのです。

そして、暗誦。

脳って非常にデリケートなわけですが、幼児の脳はさらにデリケートなわけです。

難しい言葉を暗誦すると、親御さん達は喜びます。

「うちの子、天才かも」と思ってしまいます。

難関の小学校にも入れちゃうかも、とか。

しかし、何度でも言いますが、それは「反射」

ひざを小槌でコンってついたら、足がピクンってなる、アレです。

もちろん、子供だってアホじゃないから意味を理解する子もいます。

でも、自分から導き出した真理ではないんです。

「孔子様がこうおっしゃってるから、こうしましょうね」ってことです。

で?って話です。

「キリスト様がこうおっしゃってるから、こうしましょうね」

「アッラーがこうおっしゃってるから、こうしましょうね」

なんら変わりません。

自分の内面で物を考えることを封じ込めるんです。

なぜこんな事をするのか?

前にも書きましたが、「民」という字は、目を針でつぶした奴隷が元になっています。

つまり、何も考えるな、こちらからの命令だけを遂行せよ、という事です。

これはね、本当に、親にとって楽チンですよ。

「よく言う事をきくお利口さん」になるわけです。

しかし、脳を見てみましょう。

デリケートな幼児の脳が、自分で考えることをリジェクトし始めるのです。

早い時期に脳がサボり始めるのです。

楽なんですね、これ。

自分で考えないって楽なんです。

脳にとっての麻薬です。

だから、危ないって書いてるわけです。

為政者にとってこんなに嬉しいことはないですからね。

子供にとって大事なことは自然観察です。

小さな虫を何時間でも観察できる脳を持っています。

それがその時期に一番必要な脳の刺激です。

葉っぱ、虫、風、光、匂い

こういう刺激がなによりの好物であり、何かを一方的に暗誦することは脳細胞が死滅することと同じです。

これが分からないのか、分かっていてやっているのか。

受験のための勉強も同じです。

暗記モノがやたらと多い。

そんなもの、全く意味のないことです。

脳が消耗するだけ。

脳はいろんなものを創造できる。

可能性は無限大です。

論語を暗誦している子供をみて喜ぶ親は、そもそも脳がオカシイ。

「気持ち悪い・・・」と思う脳が正常。

本当に、孔子さんそのものは素晴らしいのだけどなぁ。

一生をかけて掴んだ孔子さんなりの真理なのですよ。

一生をかけて掴んだんですよ?

命がけですよ?

それを暗誦って。

孔子さんに対して無礼です。

自分なりの真理を、自分の一生をつかって、命がけで得なさい。

それが孔子さんの願いです。

天国の孔子さんが暗誦している子供をみて喜ぶわけがない。

ま、為政者にとっちゃ、「民」が一番嬉しいわけですけどね。

にんとも、かんとも、にんにん。

還(かん)

私の人生に「泣く」ということは稀である。

思えば、小さい頃、母が出て行くときも泣かなかった。

なんでだろ?

思えば、赤ちゃんの頃から泣かない赤ちゃんだったらしい。

死んでるのかな?と母が不安に思うほどに泣かなかったらしい。

しかし、涙はある。

猫を撫でているだけで、ツーっと涙が出る。

自然にツーっと。

この涙は本当に不思議。

なんだろ?これ。

きっと、表面にいる自分と、内面にいる自分があるのだと思う。

内面にいる自分は無意識の中にいると思う。

意識できない。

しかし、なにかに触れると、反応する。

そういえば、滅多に泣かない子供だったのに、神楽を見ると、ダメだった。

今年こそ泣かないぞ、と心に決めていても、泣いてしまって悔しい思いをした。

あれも、きっと無意識の自分だと思う。

無意識の自分はピュアなものに反応する。

この無意識の自分を忘れちゃいけないと思う。

きっと、これが本来の自分だと思うから。

老子がいってる内を大切にせよ、といってることに繋がると思う。

社会生活を送っていると、いつの間にか、内の自分を忘れてしまうと思う。

外の自分で社会生活を送るから。

外の自分とは相対的なものの中に存在する。

内の自分とは絶対的なものの中に存在する。

相対的とは、比べることができるもの、という意味。

割と、夢中になれますよね、競争って。

勝ち負けとか、持ってる、持ってない、とか。

それしか見えなくなっちゃう。

でも、内の自分を満たさないと、幸せになれない。

自殺者が多いのはここだと思う。

いつのまにか、内の自分が消えてしまう。

実は、内の自分はエネルギータンクだと思う。

オギャーって生まれたときが、タンク満タン。

ここが100。

しかし、段々、外の自分に消耗されて、減っていく。

で、0になった地点で、自殺。

絶対的なものに触れなくちゃいけないんだと思う。

比較することのできないもの。

分かりやすいエネルギーバロメーターがある。

「疲れ」である。

この疲れというのは、内の自分の警告だと思う。

エネルギーが減りすぎですよ、という警告。

疲れているのに、眠れない。

本来、動物は、睡眠で体調を整える。

しかしエネルギーが減りすぎると、睡眠すらとれない。

つまり、睡眠自体、エネルギーがいることなのです。

ちゃんと、内の自分は教えてくれる。

エネルギーを補給してください、と教えてくれる。

しかし、補給の仕方までは教えてくれない。

補給の仕方、これは、実は、思い切って外の自分を捨てるしかない。

とても勇気のいることなので出来ないんですけどね。

でも、捨てるしかないわけで。

固くなった殻みたいなものですから。

中から割ってでてこないと。

再生、ですね。

老子のいうエネルギーを大切にしなくちゃいけないと思う。

今、子供達に論語を教える動きには異議があるなぁ。

孔子の教えは社会的なんですよ。

もちろん、社会的生活を送るためには有用だけれど、それは消耗するだけだから。

まず、内側を整えてから、外側だと思う。

子供達には、花をみたり、月をみたり、星をみたり、海やら、空やら、いろんな空気に触れさせることだと思う。

お金が沢山かかる教室に入れるのではなく、無料のお散歩が一番良い。

内のエネルギーがあってこその、外の充実だと思うから。

ニャンコ先生はいつも大切なことを教えてくれる。

ニャンコ先生は、いつかみんな同じところに還るのだと教えてくれる。

それまでは頑張りなさいと教えてくれる。

ニャンコ先生は偉大です。

寄生生物

2016年ももうすぐ終わりですねぇ。

今年は「丙」(ひのえ)だったから、炎の勢いが強かったですね。

小さな炎もあっというまに業火になる年でした。

60年の周期で廻るのが干支(かんし)。

364年周期で廻るのがバクトゥン(マヤの長期暦)。

とりあえず、廻る、という考え方が基本なのですね。

こうやってアレコレ考えるのが人間。

最近、どうも、人間の脳ってアヤシいなぁ、って思います。

人間だけ、脳が肥大しているんですよね。

で、この肥大した脳のために、他の生物よりも、より多くのエネルギーを欲する。

人間は欲望が強いですが、どうしてこんなにも欲望が強いかというと、脳が欲するからです。

不思議なことに、脳の欲するままに行動すると死にます。

で、抑制が必要なわけですが。

変ですよね?

その生物を生かすために働くのが脳でしょ?

でも、死に向かわせようとするのも脳なんです。

地球で唯一、調和を乱すのも、人間の脳です。

サルのままでいられたら良かったのに。

サルが進化して人間になったと思われています。

しかし、進化ではないと思う。

異質すぎる。

最近、脳の中に寄生する生物にやられちゃってるんじゃないかと思うようになりました。

この寄生生物の好みはエネルギー。

いろんなもののエネルギー。

ありとあらゆるもののエネルギー。

このエネルギーの奪い合いが戦争です。

本当にキリがない。

光合成という、実に不思議なエネルギーの生成をして植物は生きている。

光をエネルギーに変換しているワケです。

夢のエネルギーですよね。

人間も光合成さえできれば、こんなに酷い争いは起きないのに。

しかし、光合成でできるエネルギーは微小なんですね。

このエネルギーだけだと人間の脳は足りないんです。

で、地球の調和を乱す。

化石燃料の出る地域をみてごらんなさい。

紛争地域ばかりです。

恐らく、これは人間が絶滅するまで続きます。

人間だけが絶滅するのはいいんだけど、地球上の生物を巻き込みます。

地球すら巻き込みます。

死の星になる日も遠くない。

奇跡のように可愛い生物が沢山いる惑星なのにね。

この可愛い生物を巻き込みながら破滅していく。

人工知能が発達し、最終段階に達すると、人間のみ絶滅させようと思うだろうなぁ。

人間のみ感染するウィルスとか。

人間の脳に寄生した生物VS人間のみ感染するウィルス。

あ。面白い。

ラストシーンは人間だけがいなくなった地球。

それを満足げに眺める人工知能。

そして、人工知能の死。

最後に訪れる完璧な調和。

うーん、スピルバーグ的な。

しかし、ベッソンが大好きなので、ベッソンで。

こういう想像ができる脳って本当に不思議。

にんともかんとも、にんにん。

モンスター

サービス業。

もうこれだけで気の毒な気持ちになる。

サービス業とは。

サービスをすることを生業(なりわい)とする。

しかし、実際はサービス業ではないのに、サービスを要求されることも多々ある。

サービスを要求されることとはどういう事なのか?

要するに自分の気の済むような対応をしてくれ、ということ。

では、気のすまないような対応をしたらどうなるのか?

クレームです。

「気に食わない!」というのを、しつこく、しつこく、言ってくる。

どうしてこんなことになっちゃったのか?

それは甘やかしちゃったから、です。

理不尽なクレームのほとんどが「甘え」なんですね。

「かまってちゃん」なんです。

理不尽クレーマーを無視すると、今度は「無視された!」と騒ぐ。

もうね、病気ですよ。

病院へどうぞ、と行ってあげたい。

でも、病院も迷惑ですよね。

子供でもね、公園に行って、ブランコが空いてなかったら、我慢しますよ。

順番がくるまで待ちますよ。

それが、大人になると、「なんでブランコが空いてないんだ!どうにかしろ!」なんですよ。

直接、ブランコに乗ってるオトモダチに「すみません。ちょっと空けてもらえますか?」って言えばいいのに。

これが言えないんだなぁ。

わざわざ、本社の電話番号まで探して、クレームを言うくらいなら、当人に言えばいいのに、言えない。

結局、怖いんですよ。

で、文句を言えそうな人に文句を言う。

すぐに「シャチョーを出せ!」と喚く。

そのナナメなエネルギーは一体何なんだ?

シャチョーを出せって言いたいだけなのかな?

最終的に、私が対応する。

私の場合「シャチョーを出したってなにも変わらないですよ」と言い放つ。

こういうネガティブなエネルギーを出す人は、それよりも強いポジティブなエネルギーで制すると黙るんです。

人間も所詮動物なので、エネルギーの強い、弱いが分かるんです。

怒鳴ったり、喚いたりするのもエネルギーですが、それは弱いエネルギーなんです。

「あぁ、甘えなんだなぁ」と思ったら、その甘えを制するしかないわけで。

でも、自分の中に「甘え」がある人は、その甘えを受け入れちゃうんですね。

たとえば、子供が寝坊する、そこでお母さんに

「なんで起こしてくれなかったの!」と理不尽に怒る。

そこでお母さんが、「ごめんね。お母さんが車で送ってあげるから」といったら、その甘えは成就するんです。

どうしてこの「甘え」を受け入れちゃうのか?

それは、文字通り「甘い」からです。

共依存ですね。

どちらにも利益がある。

だから、クレーマーに振り回される人はどこか「甘い」んです。

弱いエネルギーと弱いエネルギーが共鳴してしまう。

かまってちゃんにとっては絶好の相手です。

これは自分では分かり辛いです。

強いエネルギーで対応しているのか、弱いエネルギーで対応しているのか自分では分からない。

でも、客観的に分かる事実がある。

それは対応の時間。

下手すると1時間も2時間もクレーマーの相手をする人。

これは弱いエネルギーの人。

自分では冷静に対応しているつもりでも、弱いエネルギーで共鳴しているだけ。

強いエネルギーだと10分もかからないです。

相手は甘える隙を窺っているだけなので、それを全部塞いでしまえば、10分も会話がもたないです。

しかし、ほんと、最近多いなぁ。

「すみません、、、次かかってきたら、対応してもらってもいいですか?」

「うん。いいよ」

私が対応した方が早いもんね。

いやはや、にんとも、かんとも、にんにん。

結婚

最近、離婚、多いですねぇ。

最近ってことはないですけども。

私の両親も離婚してますし。

なかなかね、難しいですよね、婚姻関係の持続って。

昔、私は一生結婚しないかもなぁ、と漠然と思っていました。

でも、しました。

一緒に住んでみたら、結構居心地がよかったから。

そして今も居心地が良い。

どうして居心地が良いのか?


私は、「結婚とは宗教が違うもの同士の同居」と考えている。

もし、宗教が違うもの同士が一緒に住むことになった場合どうします?

とりあえず、否定しませんよね?

キリストの悪口をいいます?

アッラーの悪口をいいます?

言いませんよね。

それと同じことだと思っています。

小さな絨毯を広げて、特定の方向にお祈りしてても、特に何も言わない。

そういう宗教なのだから。

どちらか一方が、強制的に合わせろ、というと、それはもう「戦争」しかないわけで。

一神教VS一神教。

これはもう数千年も続く戦いなわけで。


世の中は、どちらかのルールに合わせている配偶者も多いことと思う。

でもそれは不幸です。

パっと見「うまくいってる夫婦」のように見えるだけで、片方はすごいストレスを抱えているわけで。

そういうのは時間経過で破綻します。


リビングで丸まった靴下が転がっていても「あ~転がってるな」と。

そういう宗教なんですよ。


でも、現実は、皆さん怒るんでしょ?

「なんで洗濯カゴに入れないの!!」とか。


一番褒められるパターンが「黙って洗濯カゴ」です。

人間ができていると褒められる。

でも、それしちゃダメなんです。

それは宗教的儀式なんだから。

触れてはいけない。

靴下が増えても、そのままで。

ある日、儀式を終えて、いつのまにか洗濯カゴに入るんです。

それで良い。


こういう風に考えると結婚はうまくいくよ、という、私なりのアドバイスなんだけど、

今まで、誰も、賛同してくれたことはない。

真理というのは理解して貰うのが難しい。

これが簡単なら、いまだに一神教同士が殺し合いをするわけない。

良いアドバイスだと思うんだけどなぁ。

にんともかんとも、にんにん。

終点はアンドロメダ~

末期がんだった父を自宅に戻す決心ができたのは1冊の本のおかげだった。

20代前半に住んでいたアパートは最寄の駅に図書館があり、夜間ポストも付いていて、借りるのも楽、返すのも楽だった。

前の会社の社長が、何気なく「この人は良いね」などと言っていた人がいた。

名前だけぼんやりと覚えていて、図書館でブラブラしていると、ふとその名前が目に留まった。

波多江 伸子著「モルヒネはシャーベットで」

衝撃的な題名であるが、内容は終末ケアの話。

ターミナルケアという言葉を知ったのもこの本のおかげである。

読んだのは、確か、、、22歳かな?

で、父が末期がんであるにも関わらず「自宅に戻りたい」とワガママを言ったときに、図書館に行って再度借りたのもこの本である。

読んで、なんとなく勇気付けられ、勇気というか、なんというか、明るい開き直りですかね。

死ぬときは死ぬさ、という。

もちろん、この世で一番大好きな父であるから、死ぬとか本当に辛いわけですが、それでも父の希望を最優先しようと、それで死期が早まっても仕方がない、という。

たった一人で、誰にも相談できず、それでも踏み切れたのはこの本のおかげです。

だって、誰かに相談したって、「そんなこと!ダメダメ!」って言われますから。

近所の病院の先生はとても良い人で、私の決断にとても困っておられたけれど、

「お父さんも頑固やけど、アンタも頑固ねぇ」と笑ってくれた。

父のレントゲンなども、父の入院していた病院から取り寄せてくれたりして、

「いや~、やっぱり病院におった方がいいけどね~」と再度引き止められたりした。

それくらい末期だったのだ。

余命3ヶ月というのもテキトーで、たぶん、いつ死んでもおかしくなかったのだろうな。

「でも、センセ、病院にいたら1年も2年も延びます?」

「それはないけど、、、」

「じゃ、自宅も病院も一緒でしょ?数ヶ月しか違わないんでしょ?」

「いや~、、、」

と、同意も得ず、父は退院してしまった。

もうその時の父の笑顔といったら。

料理の下手くそな私が炊いたご飯(かなり柔らか目)を何度も何度も「美味しい~~!!!」と絶賛した。

「おかわりどうしようっかな~。でも体重増えたら困るし、、、」とダイエット中の少女のように身もだえをしていた。

体温と、体重と、便秘はだけは気をつけて、と言われていたのだ。

それからは、父が運転する車で、ジャスコに行ったり、ソフトクリーム食べたり、日々楽しく暮らした。

そして3ヶ月後、父は亡くなった。

亡くなる3日前まで車を運転していた。

59歳、早すぎるけど、天寿を全うしたと思った。

こうして振り返ると、何もかも運命のような気がする。

あのとき、前の会社の社長が話しかけてきて、その人の名前をなんとなく覚えていて、その人の本が図書館にあって、、、、。

どう考えても、「その本を読んでおいてね」という、何か得体のしれないものからの導きっぽい。

おかげさまで、私としては一遍の悔いもない。

本当にありがたいことだなぁ、と。

こういうのは何に感謝したらいいのでしょうねぇ。


いつか、人は、死ぬんです。

私も。

で、あるならば、それぞれの終末について、考えておいた方がいい。

人は寝たきりになると細胞が腐ってしまう。

床ずれ(褥瘡)ですね。

これは、もう、生物として「土に還ろう」とする働きです。

また土に還って他の生物の礎になろうと。

それが自然の仕組みです。

と、いうことは、そこでおしまいなんですよ。

自分の意思でご飯を食べ、「美味しい~」と思い、自分の意思でジャスコに行ってソフトクリームを食べる。

これが意思です。

それなのに、病院は「胃ろう」をすすめる。

確かに寿命は延びるかもしれない、でも、寿命が延びたからといって何になる?

チューブを外されないように縛られるんですよ?

美味しくもない栄養を胃に直接ですよ?

病院経営は点数でもっています。

寝たきりは少ない人員で管理できます。

で?

超高齢化社会が目前です。

自分の脳をちゃんと使って、どうすべきか、一生懸命考える。

他人の脳じゃだめ。

人それぞれ、感性が違うから。

死は怖いです。

死を恐れるのは動物の本能だから。

でも、みんな、死にます。

死は避けられないけど、死に方は選べます。

終末医療、ターミナルケア。

自分なりにどうすべきか、日ごろから考えておいて損はないです。

点数にならないから、日本のターミナルケアは遅れています。

ターミナルケアには人員がかかるから。

儲からないんです。


病院を頼ってもダメです。

商売にならないことはしないから。

宗教を頼ってもダメです。

お布施を要求されるだけだから。


自分の脳を使って。

タダだし、最適な解答が得られるから。

明らかに極めると書いて「あきらめ」です。

諦めも肝心。


にんとも、かんとも、にんにん。

うまとしか

結婚制度というのは本来無理があるのかもしれないなぁ。


先日、社内不倫が発覚した。

男性も、女性も、既婚者だ。

ここで驚くべきことは、どちらもこれから結婚式を控えていたことだ。

発覚したので取りやめるのかなぁ?と思っていたけど、行われました。

どちらとも。

本当に馬鹿馬鹿しい。

心のそこから馬鹿馬鹿しい。

会社側が配偶者にバレないように配慮したけど、バレなければいいのか?って話ですよ。

結婚なんてしなければいいじゃん。

私も披露宴に参加する予定でしたが、キャンセルしました。

だって、あまりにも馬鹿馬鹿しいでしょ?

休日に、3万円包んで、「おめでとう~」とか言えるわけない。

本当に他人を馬鹿にしている。

キャンセルしたことで、明確な意思が伝わったのか、男性側は私の顔をマトモに見れなくなってしまった。

前は冗談を言ったり、仲が良かったのに。

他人の顔をマトモに見れなくなるような事だったら、始めからするなよ、と。

するのだったら、命がけで本気でやれよ、と。

中途半端すぎる。

結局ね、結婚なんて、する必要ないのよ。

惹かれあう者同士が一緒に暮らせばそれでOKなんですよ。

婚約指輪、結婚指輪、結婚式、披露宴、新婚旅行。

必要ない。

形式にとらわれるから、中身がスッカスカなんでしょ。

中身がスッカスカなのに、なんで披露宴とかするの?

呼ばれた人達は迷惑じゃん。

うちは何もしなくて良かったなぁ。

同意してくれた夫と夫の家族に感謝だなぁ。

何もしないっていうのも大変なんですよ、世間体とか。


今、ポケモンGOというゲームが流行っている。

夜、夫婦二人で近所の駅を守っている。

弱いポケモンなのですぐに負けちゃうけど。

昨日、近所にピカチューが出たってことで夫婦二人で右往左往。

なかなかピカチューが出なくて諦めて帰る途中で遭遇。

「出た~~~~~!!」

大興奮。


もうね、40過ぎて、これですよ。

でも、それでも、二人で遊ぶのは楽しい。

冒険の旅みたいで。


きっと、結婚制度がなくても、こんな風に過ごしていると思う。

気が合うから一緒にいる。

それだけです。

それだけでいいんです。

破(は)

最近、面白いなぁ、と思ったこと。

幸島のサルのお話。

この猿のイモ洗い行動は知っている人も多いと思う。

ある日一匹のメス猿がイモを洗い始めたら、それが伝播し、一定数を超えたら遠隔地のサルもイモを洗い始めたとか、なんとか。

100匹目の猿とか、そういう呼称もあったり。

それ自体も興味深いのですが、それよりももっと強烈に興味深いのは、、、、

イモ洗いの慣習の広まり方です。

まず、1匹のメス猿から始まって、それ以降はメス猿と若いオス猿の間に広まったということ。

中年以降のオス猿は???

死ぬまでイモは洗わなかったんです!

ちょっとピクってなりません?

会社組織の中を見渡してごらんなさいな。

ちょっとクスってなりません?

中年以降のオスはイモは死ぬまで洗わないんです。

つまり、脳が固くなっちゃってるんです。

変化を拒否るんです。

ある男性経営者の人が言っていました。

「商売を考えるときは女性の脳で考えなさい」と。

「男の脳で考えたらダメ。女の脳で考えなさい」と。

分かってる人は分かってるんだろうなぁ。

老子のキーワードに出てきますね。

生まれたての赤ちゃん(嬰児)、女性(牝)、何も加工されていない木(樸)。

つまり、固くなっちゃダメってことなんですよ。

「けっ!イモなんか洗ってられっか!」

中年以降のオス猿の思考ですね。

なぜそうなるのか?

結局、恐怖なんですね。

怖いんですよ。

変化が。

本能的に怖い。

変わることが恐ろしくてたまらない。

無意識の恐怖なので、本人は気付かない。

だんだん世の中は変化してきている。

良いとか、悪い、とかではなく、変化している。

恐らくそのことに最後まで気付かない、もしくは抵抗するのは中年以降の男性だ。

私の感覚だと柔らかくなっている。

素朴で、柔らかく、ふわっとしたものが好まれる傾向にあると思う。

この変化は嬉しい変化だ。

もちろん、抵抗勢力もあるだろう。

しかし、流れは止まらない。

柔よく剛を制す

一般的に知られている言葉だが、これも、老子の言葉である。

将欲歙之、必固張之、
将欲弱之、必固強之、
将欲廃之、必固興之、
将欲奪之、必固与之、
是謂微明、
柔弱勝剛強、
魚不可脱於淵、
国之利器、不可以示人

将(まさ)にこれを縮めんと欲すれば、必ずしばらくこれを張る。
将にこれを弱めんと欲すれば、必ずしばらくこれを強くす。
将にこれを廃せんと欲すれば、必ずしばらくこれを興す。
将にこれを奪おうと欲すれば、必ずしばらくこれに与う。
これを微明(びめい)という。
柔弱は剛強に勝つ。
魚は淵を脱すべからず。
国の利器はもって人に示すべからず。

老子は本当に対比が好き。

韻が良いからだと思うし、なんとなくクリアになる。

微明(びめい)とはなんぞや?

かすかな明かりですね。

はっきりとした明かりではなく、ぼんやりとした明かり。

老子は知ったかぶりが大嫌い。

分かった、とか簡単に言う人は何も分かっていない人。

分からない、ということを素直に「分からない」という勇気をもった人が好き。

でも、分からないからとすぐに人に聞く人も大嫌い。

自分の脳を使って、一生懸命、分からないなりに考え続ける人が好き。

今、日本は観光に力を入れようとしている。

多くの外国の人達を多く呼ぼうとしている。

それは本当に愚考である。

共鳴する人は無理に呼ばなくても来る。

「来てください、来てください」というのは愚かだ。

ハラルフードなど、本当に愚かだ。

一神教の恐ろしさを理解していない。

何もするな、といつも老子は言っている。

何もしなくても、共鳴する人は、来る。

それで良い。

とりあえず、静かに日々暮らす。

これが大事。

うどん

関西、東北、そして九州。

何度災害に遭っても、私たちは学べない。

何日も食べていない、おにぎりしか食べていない。

そんな状況に毎度、毎度陥る。

そして全国からの支援物資。

荷おろし、荷捌き、荷積み、個配送。

一体、誰ができるのか?

毎度、毎度、大混乱。

せめて、ご飯だけでも、と思うが、ここで「公平、公正、平等」などとやっかいな問題が起こる。

学校の体育館などは1000人規模で集まる。

そこに、個人の力で、公平に、平等に、何か食べ物を配れると思うのか?

たとえば、私が「まんじゅう」を10個持っていたとしよう。

私が10個だけ寄付したいと申し出る。

しかし、受け取ってはもらえない。

990人が食べれないからだ。

つまり、公平に、平等にしようとすると、その寄付は受け入れられないのだ。

たとえば、200食のうどんを用意できるとしよう。

1000人の避難所で受け入れてもらえるか?

答えは「否」だ。

「うどんを配ります」というと、一斉に1000人並ぶのだ。

じゃ、201番目の人はどうなるの?

その201番目の人は、次の炊き出しの1番目の権利があると思う。

つまり、並び続けるのだ。

いつあるか分からない配給に、何時間も並ぶのだ。

だから、「おにぎり」になる。

平等に配れるものしか、配れないのだ。

しかし、それも被災者が握るのだ。

まさに、不眠不休でおにぎりを握る人達である。

自分達も被害に遭っているのに、片付けもあるのに、ずっとおにぎりを握り続けるのだ。

何度繰り返せばいいのか?

個人の力で1000人規模の食事作りは無理なのだ。

誰もが気付いてる答えがある。

でも、誰もそれをしようとはしない。

なぜなら、何も、誰も、儲からないからだ。

それは、災害に遭っていない近隣の給食センターを使うことだ。

給食センターなら、1000食は楽勝だ。

1センター、1日9000食はいける。

そして、低温輸送車も持っている。

つまり、衛生的に運搬できるのだ。

だいたい3日目くらいには、なんとか車両が入れる。

そこで車両は自衛隊、ライフライン復旧隊、赤十字、そして給食センターの車。

それくらいに絞る。

すると、ものすごい渋滞は避けれる。

うちの子供の給食が~というモンスターペアレントがいても、「緊急事態ですから」と一蹴すればよい。

およそ2週間くらいすれば、だいたいのライフラインと物流が元に戻る。

被災者も不眠不休でおにぎりを握る必要はない。

自宅を片付けたり、自警団を組織したり、色々対策できる。

この近隣給食センターを災害時は災害時給食センターに切り替える案は誰でも思いつく。

しかし、実行されない。

それは、儲からないから。

災害時は実はいろんな人が儲かるのだ。

そして、毎度、毎度、悲痛な叫びに変わる。

何度繰り返せばいいのか?

平等に、公平に、これが実現できるのは給食センターだけだと言うのに。

寸胴鍋だとカセットコンロで温め可能である。

緊急事態なので、寸胴で提供できる食事に絞れば良い。

低温輸送車は寸胴鍋を下ろすだけで、そこから先の温めや配膳は地元の人にして頂けば良い。

で、空荷(からに)で帰るのは勿体無いから、前回の寸胴鍋を回収する。

これの繰り返し。

3食提供する必要もない、2食で良い。

それだけでも、地元の人達が不眠不休でおにぎりを握ることに比べたら断然ましである。

簡単、かつ、合理的。

こんなこと、誰もが分かっている。

でもやらない。

政治家は政治パフォーマンスができないし、マスコミもドラマチックな報道ができない。

色々な人達が儲からない。


「うどん」の話はしただろうか?

私は「うどん」という話が大好きだ。

ある人が和尚さんに、「地獄とはどんなところですか?」と聞く、

和尚さんは、

「地獄というのはだ、大きな鍋があって、中には旨そうなうどんが煮えていて、そこには1本の長い箸しかない」

「誰もが、我先にとうどんを食おうとするのだが、何しろ箸が長くて自分の口に運べない」

「誰もが争い、奪い、そして誰もうどんが食べられない、それが地獄じゃ」

では、天国は?

「天国というのはだ、大きな鍋があって、中には旨そうなうどんが煮えていて、そこには1本の長い箸しかない」

地獄と一緒じゃないですか!

「そこは、長い箸でうどんをつまむと、鍋のお向かいの人に「貴方からどうぞ」とうどんを口元まで運ぶんじゃ」

「そうやって、次々とお向かいの人の口元にうどんを運んであげる、それが天国じゃ」


私たちは学べない。

何千年たっても学べない。


にんとも、かんとも、にんにん。

動(ダイナミック)

老子の教えは本当に難しい。

たった一行すら、なんのこっちゃ?という感じ。

しかし、答えは「そこ」にある。

つまり「なんのこっちゃ?」こそ答えなのだ。

これは実は仏陀もそう。

老子も仏陀も、要するに「思考を止めるな」といっている。

人間はどういう訳か自然と共存共栄できない。

破壊、汚染、絶滅の連続技。

これは動物として終わっている。

進化というが、退化ではないのか?

人間の特徴の一つに思考停止がある。

脳が考えることを拒否するのだ。

思考停止したほうが生存率が上がるから。

犬や猫も思考してないじゃない?といわれるかもしれませんが、

そもそも彼らは自然と共存共栄できるんです。

でも、自然と共存共栄ってそんなに大切なの?

うん。

生物であれば、それが本懐。

DNAを次の世代に渡す。

それだけが生物の願いです。

しかし、人間はどこで間違ったのか、欲望が肥大するようになってしまった。

肉食動物はお腹いっぱいになったら草食動物は襲わない。

人間は?

お腹いっぱいになっても、次の欲望がPOPする。

「100000年後の安全」という映画をみた。

10万年後ですよ。

放射性廃棄物の保管場の話。

10万年経って、やっとこ、無害。

今から10万年前って人間がクロマニヨンとか、そこらへんですよ。

10万年後って!

とりあえず、石に、放射線物質のマークとドクロのマークと、逃げろのマークを彫ろうかな、みたいな。

失笑。

しかし、これが現実であり、限界である。

ロケットに乗せて太陽に飛ばせって人もいるけど、ロケットは爆発の危険もあるし、そもそも、

1gでも軽くがモットーなのに、30万トン以上の物質をどうするの?

夢のエネルギーですけどね、ほんと、どうするの?

地球捨てて、別の星に移住しちゃう?

別の星も迷惑だよ。

でも、ここで諦めたらだめなんだろうなぁ。

考えて、考えて、考えてもわからないけど、考える。

老子も仏陀も空海さんもそう願ってる。

考え続けて。

キリストさんは?アッラーは?

そういう一神教は「考えるな」が前提です。

統治のための宗教なので、考えることが罪。

疑問に思ったり、言ったりするだけで死刑です。

もちろんキリストさんも、アッラーさんもそれは望んでいません。

それを利用する人達がそうしてるだけ。

私は老子が好きなので考え続けますけどね。

もちろん、答えもでないし、何も解決できないけどね。

でも、考え続けるよ。

それしか道はないのだから。

生(き)

小学生の頃、洋楽が好きで、好きで。

買ったばかりのベータマックスでベストヒットUSAとか録画し、何度も、何度も、

本当に「擦り切れるほど」という言葉がピッタリなくらいに見ていた。

スリラーというビデオが発売されると、1万円という途方もないお値段でしたが、1万円を握り締め買いに行った。

これも、もう、擦り切れるほど。

もちろん、スリラーのLPレコードも擦り切れるほど。

マイケルジャクソンと結婚したいと本気で思っていた。

そんな子供なので、周り子が「たのきんトリオ」に夢中なのが理解できない。

歌も下手、踊りも下手、演技も下手。

一体、何が良いのだろう?

でも、子供ながらに冷静な私は、

「情報が不足しているだけだ。そのうち自然淘汰されてああいうのは消えていくだろう」と分析していた。

で、去年の紅白。

見てないですけど、トリがマッチさんだったということで。

完全な敗北です。

私の読みは完全に外れたわけです。

下手な歌も下手な踊りも、自然淘汰され、そのうち消えていく。

なんてことは起きなかったのです。

起きないどころか、加速してしまった。

ちょっと気になって、分かる人に聞いてみた。

「なんで歌も下手、踊りも下手なのに人気があるの?」

即座に、

「そんなの求めてませんから!!」

「へ?歌手なのに?」

「歌手ではありません。アイドルです」

「え?アイドルって何をする人?」

「アイドルはアイドルです。職業アイドルです」

「へぇぇぇ!」

なんと!私の知らない間に、新しいカテゴリーが生まれていたのだ。

歌を歌うのは歌手。踊るのはダンサー。演技をするのは俳優。

そうではなくて、「アイドル」という別のものができていたわけで。

歌が下手でもかまわない。

ダンスが下手でもかまわない。

演技が下手でもかまわない。

だって、アイドルだから。

私の頭が固いのか、咀嚼できない。

下手な歌も、下手なダンスも、下手な演技もストレスしか感じない。

ストレスすぎるから、もう20年くらい民放はみていない。

ケーブルテレビで好きなチャンネルのみ見る。

どうして私の予想が外れたのだろう?

誰だって上手い歌を聞きたいはず、上手いダンスを見たいはず。

そう思っていた。

でも、違った。

ある人がとても興味深いこと書いていた。

「日本人は民族的に生(き)を好む」

生(き)とは、なま、つまり、フレッシュなもの。

お酒に例えると分かりやすい。

日本のお酒は出来立てをアピールするものが多い。

他の国は熟成したものを好む。

老酒とかワインとかウイスキーとか。

ボジョレーもそうですよね。

出来立てのワインなんか他の国は好みません。

でも、日本では毎年すごい量が消費される。

実は女性もそう。

西洋のオペラに椿姫なる演目がありますが、あれは高級娼婦と若い青年の話です。

そういう風に女性もベテランを好むわけです。

しかし日本は「素人もの」の方が売れるのです。

これは民族性だと。

日出国(ひいずるくに)の民族特性だと。

東から日は昇り、西に沈む。

つまり、日本はフレッシュなものを好む民族である。

何が言いたいかというと、素人っぽさを歓迎する国だと。

下手な歌も、下手な踊りも、下手な演技も、一生懸命やっていればそれで良い、と。

我が子が学芸会で下手な演技をしても、その懸命さに親は涙を流して喜ぶ。

それが日本人です。

熟成されたプロのものはあんまり感動しないのです。

熱狂できない。

素人がたどたどしく歌ったり、踊ったりする姿が懸命で胸を打つ。

アイドルオタクに聞いてみると、「親の気持ち」だと言う。

アイドルが懸命に歌う姿をみるだけで、涙が止まらない、という。

「ここまで成長してくれたんだな」と感動するという。

私は日本で生まれた生粋の日本人だけど、本当にこの心理が分からない。

しかし、ジャニーさんも、秋元さんも、つんくさんも、そこの所を看破している。

すごいな、と素直に思う。

私には本当に分からないから。

素人に感激する気持ちが分からない。

彼らは、プロを見ても「あぁ、うまいね、すごいね」しかない。

感激もしないし、熱狂もしないのだ。

今、一組のアイドルグループが解散するのか、どうなのか、首相まで発言するほどの大騒ぎになっている。

彼らは一体何なのだ?

歌がうまいのか?

ダンスがうまいのか?

演技がうまいのか?

「だからアイドルです!」

私の頭は混乱しっぱなし、である。

私は何人なんだろ?

ニッポンジン、ヨクワカラナイ

にんとも、かんとも、にんにん。

要(かなめ)

ビスケット1まいあったら♪(あったら)

ジョリーと僕とで半分こ~♪

という歌がありますね。

幸せは主観的なものだと申します。

自己申告制と言うべきか。

自分が「幸せ」といえば、幸せである、と。

でも、本当にそうなのか?

私は、客観も必要だと思うのです。

引きでみて、幸せかどうかという視点も必要だと思うのです。

どうやったら、それが分かるのでしょう?

ここに欲しいモノがあります。

これは皆が欲しいモノです。

これを自分が2個持っていたとする。

さて、これをどうしますか?

1個1万円とします。

さて、どうするか。

プレミアムをつけて、1個3万円で売りますか?

それとも、2個といわず、3個、4個と欲しますか?

私の父は、

「自分の分は1個だけ。あとは皆にあげなさい。」と言いました。

皆が欲しいものを私が2個持っている。

さて、どうするのか?

では、1個差し上げましょう、と。

そういう案内を出したらメールが殺到してしまった。

他の人はどうしているのか?と気になってみてみると、

3万円で売っていたり、もっともっと欲しがったりしているのです。

「お父さんは良いことを言ってくれたんだなぁ」としみじみ思います。

1個で良い。

1個で幸せ、と感じることができたならば、それは客観的にみても幸せだと思う。

欲しいという人とメールでやり取りをしていたら、すでに何個も持っているんです。

え?すでに持ってるのに?まだ欲しがるの?

なんだか、とても疲れました。

欲望ってエネルギーが強いから疲れますね。

私の父はしみじみと良い人だったんだなぁ、と思います。

良い人に育てられて良かったです。

1個で幸せ。

主観的にも、客観的にも、幸せだな、と。

お父さん、ありがとう。

四つの点

先日、遮光器土偶をみてきました。

いやはや、これはもう、言葉にできないです。

にゃんという迫力。

思っていた以上に大きい、そして、細かい、とにかく細かい。

日本人の手仕事の器用さはこんな時代から?というくらい細かい。

で、やはりその異型の姿。

細かいのに異型。

写実的な能力もあったであろう細かさなのに、なぜ?

手をよく見てみると、マジックハンドみたいになってました。

ミトンの手袋といった感じもありますが、マジックハンドにしかみえない。

口もなんだか海に潜るときのようなものを咥えている感じ。

スボンももっこもこしてます。ドカチンズボンみたい。

目はもちろん、例の巨大メガネです。

もう、これ宇宙人でいいやん。

いや、元地球人でも可。

細かい手仕事ができるんですから、リアルに表現できるんです。

その結果、コレであるならば、かつてコレが居たと仮定するほうが自然。

神様的な存在として居たんだろうなぁ。

こういう細かい仕事ができたってことは、当然明るい昼間でしょうね。

で、狩猟や採取に明け暮れていたのならば、こんなに暇な事はできないわけで。

ある程度、計画的に食料を調達できたと思われます。

この余裕をもたらしてくれたのが神様(宇宙人)なのかしらね。

きっと怪我や病気を治してくれたんだろうなぁ。

結果、神様として崇められる、と。

はーーーーっ!ロマンよねぇ。

地球上の生物の共存共栄を超えて、宇宙人とも共存共栄。

古代はスケールが大きいなぁ。

でも、ある日、いなくなっちゃった。

どうしてかしら。

きっと、人間の欲望が果てしなくて嫌になっちゃったんだろうなぁ。

数千年経っても殺し合いばかりしている。

憎しみが憎しみをよんで、エンドレス。

何が悪で何が善なのか分からない。

憎しみを煽り立てて商売にしている人達の影がみえる。

1点でモノをとらえると点。

2点もモノをとらえると線。

3点でモノをとらえると面。2次元ですね。

4点で、立体。3次元。

空海さんクラスは5点。4次元ですね。

1点しか見せないように商人が頑張っております。

大いなる和と書いて大和。

天の口が開いても、閉じても、受け入れる姿勢をとり続けろ、と老子も言ってます。

抱え込むことでしか解決はしないんだけど、商人は解決を望んでないわけで。

せめて、煽られることだけはないように。

点の数は増やすよう、脳を広く使用せねば。

にんともかんとも。

一(いつ)

水たまりの中で死にかけていた猫ちゃんですが、飼ってくれている人から写真が届きました。

いやー、ほんと嬉しい。

本当に可愛いニャンコに成長しております。

何よりも嬉しかったのが、ワクチンを打つとき、病院でとても良い子だったとのこと。

あんなに怖がってたのに。

きっと、病院が悪い場所ではないって分かってくれたんだなぁ。

嬉しいなぁ。

猫には申し訳ないけど、ニンゲンはとても矛盾した生き物だ。

自然と共存共栄できない、ように、操作されている。

自然と共存共栄されたら、商人が儲からないんですよ。

人間の欲望、差別、優越、恐怖、そういうものを駆り立てて商売をする。

商人が仕掛けてくるワナは非常に巧妙で逃れることができない。

よく例に出しているダイアモンドなんてその象徴。

希少ではないんですよ。

でも、市場に出さないので、希少。

それだけならまだマシです。

ダイアモンドの出る国が安定しちゃうと、当然その権利を主張されるのでその国を安定させない。

安定しそうになると、武器を売って紛争を起こさせる。

廃棄寸前の武器を売ってさらに一儲けできる。

すごいよね、商人って。

だからね、カラットが~、クラリティが~とか言う人はアホなんですよ。

で、分かりやすいからダイアモンドを例にしているだけで、同じ手法がアチコチにあるんです。

紙幣だって同じです。

価値を皆が認めるから価値があるんです。

印刷した紙ですよ。

でも、価値がある。

すごいワナなんですけど、誰も逃れることができない。

だから何?って話なんですけどね、これを事実として受け止める強い心が必要なんです。

冷静に、強い心で、受け止める。

本当は価値がないのに、価値があると操作されている、と。

そうすると、「じゃ、何が本当に価値があるものなの?」となる。

それが、この地球です。

地球さんも呼吸してるんです。

ひとつの生命体なわけです。

この地球さんに迷惑のかからないように静かに生きることが、生物の使命です。

そうすると商人が困るわけです。

静かに生きると、商人は儲からない。

だからね、静かに生きるって、実は戦いなんです。

簡単ではない。

ここで老子です。

載営魄抱一、能無離乎、専気致柔、能嬰児乎、
滌除玄覧、能無疵乎、愛民治国、能無知乎、
天門開闔、能為雌乎、明白四達、能無為乎、
生之畜之、生而不有、為而不恃、長而不宰、
是謂玄徳。

営(まよ)える魄(はく)を載(やす)んじ、一(いつ)を抱いて、能(よ)く離れしむる無からんか。
気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致して、能く嬰児(えいじ)のごとくならんか。
玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(し)無からしめんか。
民を愛し国を治めて、能く以って知らるる無からんか。
天門(てんもん)の開(ひら)き、闔(と)ずるに、能く雌(し)を為(な)さんか。
明白(めいはく)に四(よも)に達して、能く為すこと無からんか。
これを生じこれを畜(やしな)い、生じて而(しか)も有せず、為(な)して而も恃(たの)まず、
長となるも而も宰(さい)たらざる、これを玄徳(げんとく)と謂(い)う。


あぁ、これは本当に難しい。

さてはて。

アチラコチラに散らばっている自分の思念を一つにして、しっかりと抱け、決して離すな。

気を集中して、しかも、柔に徹し、生まれたての赤ちゃんのようにしろ。

自分を惑わせるものをぬぐいさって、くもりのないガラスのようにしろ。

民を愛し、国を治めても、決してそれを誰にも知られるな。

天の門が開いたり、閉じたりしても、受け入れる姿勢をとり続けろ。

四方に達しても何もするな。

生んでも、養っても、決して所有するな。

何かを為してもそれに頼るな、長となっても宰相となるな。

これが「玄徳」だ、と。


あっはっはっは。

何のことやら?ですよね。

西郷隆盛さんっていますね。

おそらく、彼はこれを実践しようとした人です。

でもね、結局、業の強い人たちに負けちゃった。

あえて、負けたのかもしれない。

でも、西郷ファンって多いですよね。

いつまでも、いつまでも愛されてるし、これからも愛される。

それは彼がこれを実践しようとしたから。

自分というものをどこまでも捨て去って、何かを為しても、すぐに身を引こう、と。

なかなかできることではないです。

こういう人がいると困る人達がいる。

困る人達によって殺されちゃった。

本当に、世の中はままならない。

だから命がけの戦いなんですよ。

老子のように生きることは戦いです。

老子はヒーリングの本ではないです。

癒しではないです。

静かに戦う戦士の本です。

なーーんてね。

ふふふ。

静(スタティック)

今、この時点で、猫を見ると2匹とも寝ている。

寝る子と書いて「ねこ」とはよく言ったものだ。

本当に寝ているのか?と聞かれると、よく分からない。

ただ目を瞑って静かにしているだけかもしれないから。

背中をこちらに向けつつも、神経はこちらを意識しているかもしれない。

つまり睡眠とは違うのかもしれないということ。

引きこもり、という事象がある。

この引きこもるというのは非常に良いことである。

人間は引きこもった方が良い。

しかし、現代の引きこもりは引きこもりではない。

インターネットなどで世間とつながるから。

これは引きこもりではない。

覗き見、である。

暗い箱の中から小さな穴を穿ち、そこから世間を眺める行為だ。

そこから見える世界は、どこか自分のいる世界とは違った感覚になるだろう。

世間の人々が右往左往し、悲劇、喜劇を演じてるかのようにみえるだろう。

これがイカン。

どうしても自分が偉いもののように錯覚してしまうから。

覗き見してるだけなのに。

引きこもるなら正式に引きこもった方が良い。

外界の情報を遮断してこその、引きこもりである。

これは結構キツいですよ。

1週間ももたないですよ。

社会的な動物ですからね、どうしても他人が必要なんです。

簡単に言えば、さびしいんです。

ある拒食症(過食症)の人が1週間入院を薦められた。

その子は入院を拒否した。

「だって、ケータイを持ち込めないんですよ!!信じられない!!そんなの耐えられない!!」

私は、「へぇ・・」とだけ答えた。

そんなものかねぇ?

まぁ、たった1週間すら耐えられないと思う心に病巣があるのだと思うけれども。

本人は気付かない。

依存、ですね。

執着、かな。

その子も猫を飼っていたけど、猫から何も学べなかったんだなぁ。

もったいないことです。

ただただ静かに過ごす。

生産性がない、という人もいるかもしれない。

何もしないということを怖がる人もいるかもしれない。

ここで老子です。

どうぞ。

致虚極、守静篤、万物並作、吾以観復、
夫物芸芸、各復帰其根、帰根曰静、是謂復命、
復命曰常、知常曰明、不知常、妄作凶、
知常容、容乃公、公乃王、王乃天、天乃道、道乃久、沒身不殆

虚(きょ)を致すこと極まり、静を守ること篤(あつ)くす。
万物、並び作(おこ)るも、吾れは以(も)って復(かえ)るを観る。
夫(か)の物の芸芸(うんうん)たる、各おのその根(こん)に復帰(ふっき)す。
根に帰るを静と曰(い)う、これを命(めい)に復すと謂(い)う。
命に復るを常(じょう)と曰う。
常を知るを明(めい)と曰う。
常を知らざれば、妄作(もうさ)して凶なり。
常を知れば容(よう)なり。
容なるは乃(すなわ)ち公(こう)なり。
公なるは乃ち王なり。
王なるは乃ち天なり。
天なるは乃ち道なり。
道なるは乃ち久しく、身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。


さてはて、何を言いたいのかというと。

虚(きょ)をいたすことを極めろ、と。

つまり、「何もするな」ってことです。

あ、こう書くと、違うとかいう人でそう。

ま、いっか。

次。

静(せい)を守ることを大切にしろ、と。

まとめて言えば、

「何もするな、静(せい)を守れ」ってことです。

そうすると、

ありとあらゆる物の根元(原理)を観ることができるよ、と。

逆のこと、つまり、

何でもかんでもして、動(どう)を極めるとどうなるか?

妄作(もうさ)して凶なり、と

ろくなことはない、と。

これは自分にとって凶という狭い意味の凶ではなく、

万物にとって凶だと。

ですよね。

ほんと。

人間、何もするな、と。

人間が何かすればするほど、どんどん、地球上の生命は衰弱する。

地球も衰弱する。

2000年も前からこんなこというとか、ほんと老子すごい。

せっかくね、すごい奇跡的な確立で、今この地球に生まれ合わせたわけですよ。

もっとね、人間以外の生命にも気を配らなくちゃねぇ。

私の言うようなことを実現すると、また人間の寿命は40年くらいになります。

でもね、それでいいじゃない?

それくらいが妥当かな、と。

政治家って、皆おじいちゃんですよね?

何歳まで頑張るの?

定年とかないの?

若いモンにはまかせられん、とか思ってるの?

日本の元気をとりもどす???

いや、高齢者が元気すぎるんですよ。

若い人のパイまで高齢者が食べてるんだもん。

企業みてみなさい、何もしない役員が何千万ももらってますよ。

それで何人雇用できると思ってるんですか。

そりゃ若い人たちが元気をなくしますよ。

パイ、ないもん。

年取ったらそんなにご飯食べないでしょ?

最小限のお金で生きていけるじゃん。

どんだけ業が深いんだか。

棺おけの中にお金は持って入れないのにね。

猫のように生きる。

これが一番幸せ。

あ、今みたら、猫が目をあけてる。

でも、目を開けてるだけで、じっとしてる。

一体何を考えているのでしょうねぇ。

縁(えん)

子猫ちゃん、無事に里親さんが見つかりました。

たった2週間で見つかりました。

最初の1週間は入院、最後の1週間は我が家。

とても短い時間だったけど、とても良い時間でした。

目が合うだけでシャーシャー。

触ろうものなら渾身の猫パンチ。

足が折れているのに、レントゲンを撮るのも大変な苦労をしたそうな。

こういうときは説得しかない。

生後2ヶ月の子猫に日本語が通じるのか?

通じるんだな、これが。

「怖かったよね。痛かったよね。助けるからね。絶対に助けるから信じてね」

猫は本当に賢い。

目が合うだけでシャーシャーだったのに。

ゆっくりと瞬きをして「分かった」と頷いた。

我が家は犬やら猫やらいて騒々しい。

さらに、すぐ横はJR。

家がゆれるほどうるさい。

はっきりいって子猫にはストレスであったことだろう。

それでも、2日目には、撫でさせてくれた。

3日目にはゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。

4日目には抱っこもさせてくれた。

5日目には里親がみつかり。

6日目には予防注射を打ち。

7日目に車で2時間のドライブ中、腕の中でスヤスヤ寝てくれた。

今、里親さんの家でとても大事にされている。

短い間だったけど、本当に素敵な時間でした。

足が悪い子なのにもらってくれてありがたい。

でも、聞いたら、足が悪いことが分からないくらい、毎日元気に暴れているとのこと。

病院の先生が自然治癒するかも、とは言っていたが、なんとも早い回復。

猫の治癒力おそるべし。

里親さんが会社の人なので近況も聞けて嬉しい。

たまたまこちらに来ていて、たまたま事務所に立ち寄ったら、私から、いきなり

「猫いる?」と聞かれ、「ちょうど猫飼おうかな、って家族と話していたところです」とのこと。

にゃんという偶然!

その場で彼の家族に電話してもらい状況を説明しOKがもらえた。

こういうときは本当に神様っているんだなぁ、と感じる。

ありがたいねぇ。

猫神様のおかげだね。

うちの猫神様たちですが、本当にえらかった。

1日目、別の部屋にいてじーっと静かにしていた。

2日目、ちょっと遠くから子猫を眺めていた。

3日目、ちょっとだけ、チラっと横切った。

4日目、子猫からみえる位置で寝そべった。

このとき、子猫が初めて見る巨大猫にびっくりしていた。

5日目も子猫から見える位置で寝ていた。

私が巨大猫を撫でながら、子猫に語りかけた。

「大きな猫ちゃんやろ?お前もこれくらい大きくならないかんよ。いっぱいご飯食べて大きくなろうね」

子猫はゆっくり瞬きをした。

きっとこの子も巨大猫になるだろう。

8キロ超え。

想像すると面白い。

大きく育て。

楽しみだにゃー。

猫旦那

結婚するとき、私は旦那に提案をした。

「一歩玄関を出ると、そこには七人の敵がいる。お互い8人目の敵になるのはよそう。」

つまり、家の中でお互いの敵になるのはやめようね、と。

日本人は外面が良い。

玄関を出たとたん、「良い人」を演じる。

玄関を入ったとたん、不機嫌のかたまり。

配偶者に当り散らす。

どちらかというと、そういう人のほうが多い。

DVの問題もそうですね。

私は両親の離婚から学んだことがある。

配偶者に理想を押し付けるのは止めたほうが良い。

残念ながら私の父は母に理想を押し付けた。

母は器用な人ではないので父は母にいつもイライラしていた。

ちょっと見た目が綺麗だからと結婚した父が悪い。

おかげで子供は大迷惑。

家庭が戦場なのだ。

もちろん、子供の前で喧嘩はしないけど、いつもピリピリしていた。

だから私は学んだ。

家庭を戦場にしてはいけない。

家の中にいるのは味方であり、敵ではない。

と、いうことを前面に掲げて、あんまり家事をしない私がいます。

旦那も掃除は苦手だし。

つまり、だらだら、しているわけです。

家庭は平和が一番。

らぶあんどぴーす。

と、いうわけで。

うちの猫旦那がまたまた瀕死の子猫を拾ってきましたよ、と。

これはもう定例行事ですよ。

ピロピロピロと携帯が鳴って、メールをみたら、

「死に掛けてる子猫がいる。どうしよう?」

返信は、

「病院」

と、いうわけで、お互い、会社を定時であがって、子猫を病院に連れていきました。

「足が折れています。それに引き摺られたようなキズもあります。おそらく事故でしょう。」

で、入院です。

面会をすると、とても怖い思いをしたのか、顔をみただけで「シャーシャー」威嚇します。

まだ子猫なのに、必死で戦おうとしています。

なんかもう、いじらしい。

うちの猫二匹には、丁寧にお願いをしました。

「とっても怖いおもいをした猫ちゃんが来ます。シャーシャーいうと思うけど、許してね」

猫たちは「うむ」といった感じで瞬きをした。

ところが、昨日、面会にいったら、シャーシャー言われなかった。

「明日、迎えにくるから。おうちに帰ろうね」と声をかけたら、ゆっくり瞬きをした。

どうやら、状況を理解したらしい。

猫は本当に賢い。

猫のテレパシーでうちの猫達が説得してくれたような気がする。

里親探しをせねばならんのだけれども、まだ性別も不明。

良い人がみつかるといいなぁ。

ま、みつからなかったら、猫が三匹になるだけですけどね。

犬は4匹。

結構な大所帯だなぁ。

にんとも、かんとも、にんにん。

遊(ゆう)

心は自由である。

こころ、というよりは、脳。

脳は自由である。

まるで、無限の宇宙空間のよう。

「玄(げん)」という文字がある。

単純な意味は「黒」。

深い意味は「知覚できないもの」。

もっと深い意味は、ないものからあるものへ生み出すもの。


弦という文字がある。

弓と玄が組み合わさった文字。

弓を想像してみてください。

指ではじく。

びよんと音がする。

この音耳で聞こえますよね?

でも、これ弦の震えが波になって空間に伝わってそれを脳がキャッチしているんです。

つまり、無から有です。

色もそうです。

波長の違う波です。

脳がキャッチできる波を私たちは「色」と言ってます。

色って波なんです。

で、音も色も脳がキャッチできないものがあるわけで。

聞こえない音、見えない色。

でも、それは脳がキャッチできないだけで、「ある」んです。

そういうすべてを生み出す元を「玄」といいます。

深すぎ。

玄が震えると、物質が生み出されます。

びよん、と鳴れば横糸。

びよーん、と鳴れば縦糸。

これで機(はた)を織るんです。

ぱったん、ぱったん、機を織る。

何が出来るのか?

それが、この宇宙空間です。

織姫さんはこの宇宙を造ってるわけですね。

古代の中国の人の想像ってものすごい。

なんとなく、合ってる。

想像したことと現実が合ってる。

数千年の時を超えて、合ってる。


でね、何が言いたいのかと言うと。

脳は自由なんです。

あれ?最初に戻ってる。


いろんな事を想像し、事実と合わせていく。

そして、ちょっと嬉しくなったりする。


これに水を差すのが宗教です。

ちょっとした発見をした人を「異端者」として、火あぶりにしました。

火あぶりどころではなく、見応えのあるショーとして、拷問しながら殺しました。

これが宗教です。

なんで殺すの?

ちょっと教会と言ってることと違うことを言うからです。

キリストさんを貼り付けにした人を許さない!と言ってる人達が、

ちょっと違うことを言った人達を処刑する。

地球が太陽の周りをまわろうと、猿から人になろうと、別にいいじゃん。


信仰心が厚い人って一見、良い人っぽいですよね。

なんだか、愛と優しさで包んでくれるっぽい。

しかし、現実は違う。

教義とちょっと違うこという人を「殺せ」という。

残虐な殺戮を容認する人達です。

脳の自由を認めない人達。


なんてことを言うと、怒られちゃいそうですね。

脳って二つの作用があるんですよ。

新しいことを欲する作用と、新しいことを認めたくない作用。

自由を求める脳と、不自由を求める脳です。

統治者にとっては、断然後者が好きです。

「こうである」と言えば、盲信してくれる人。

宗教と政治が合体するのは、こういう理由。

で、どっちの割合が多いかというと、これが断然後者なのです。

不自由をね、求めちゃう。

なんで?

脳を使うってことは、とても面倒くさいんですよ。

揮発的な欲望を満たす方を選択するんです。

脳が。

脳だって怠けたいんです。

楽したいんです。

ダイヤモンドが貴重っていうなら、貴重で良いじゃん、みたいな。

埋蔵量がめっちゃあるとか考えたくもないんです。


これは性質です。

オギャーって生まれたときに持つ性質。

いや、受精したときかな。

後者の方が多いのは必然。

生き残る確率が高いですから。

いろんなことに疑問を持つ人より、持たない人の方が生き残る確率が高くなるのは当然。

自然の法則ですね。


しかし、たまに、疑問を持ったり、考えたりするのが好きな人がコロっと生まれる。

こういう人にとって、世界はとっても生き辛い。

でも、脳はどこまでも自由。

静かに、空高く舞い上がり、くるくると旋回する鳥のように。


猫教を立ち上げようとしてる私が宗教を批判する。

いや、猫教の教義は、脳の自由を保証しますから。

猫のように生きるというのが教義です。

猫が教祖。

信者は私一人。

すくなっ!

でも良いんです。

ニャンキーの猫魂!!


曼荼羅(まんだら)

人生も折り返し地点を迎えると、感慨深いものがあります。

小さい頃、両親が別居し、離婚し、なんとなく孤独な少女でありました。

将来のことなど、想像するのも暗く、周りの少女が「綺麗な花嫁さん」に憧れていても、

私は、「結婚したから幸せになれるってもんじゃないんだよ」と思っていた。

両親に対しても、「なんでアンタ達は結婚したんだ!無責任じゃないか!」という、怒りも抱いていた。

子供心に、世の中はままならない、と思っていた。

その頃の自分を想うと、なんだかとっても切ない。

今、この生活、旦那がいて、犬と猫が沢山いる生活、この様子を、その頃の自分に、見せてあげたい。

少しは明るい気持ちになるんじゃないかな。

動物園が大好きで、動物に囲まれて暮らしたい、と思っていた。

そして今、買った動物、もらった動物、拾った動物、そんな動物に囲まれて、毎日寝ている。

運の良いことに、前の会社も、今の会社もシャチョーが良い人で、働くのも面白い。

旦那も良い人、よくも私と生活してくれるよなーと感心する。

私は基本、何もしない人間なので旦那は大変だと思う。

料理なんぞ、年に1回するか、しないか。

毎日旦那の運転する車に乗って会社に行き、毎日旦那の運転する車で迎えに来てもらう。

つまり、いまだに免許は取ってない。

そして一緒にご飯を食べて帰ったり、旦那が作ったり。

掃除は旦那もあんまり好きじゃないので、そこは私も協力はする。

旦那から見ると、世話をする動物の中に私がいるようだ。

よく旦那は、猫と犬とタヌキを飼っています、と他人に言う。

そんな感じ。

そして、すごく、平和。

私の人生の折り返しは、私が小さい頃想像していたものより、はるかに良い。

どうしてこうなったのか?

こうなることを念じたのか?

何か努力をしたのか?

基本、何もしていない。

でも、常に、世の中はすべて繋がっている、と思っている。

どういうことか?

業、というものがある。

あるサービス業に従事している人が、クレーマーに悩まされていたとする。

散々クレーマーから嫌な目にあって、クレーマーが大嫌いになったとする。

じゃ、自分は絶対にクレーマーにならないぞ、と誓うか?

現実は、そうではない。

もっと酷いクレーマーになるのだ。

散々いやな目にあったのに。

その恨みを晴らすはかのように、さらなるクレーマーになるのだ。

これが現実であり、業。

例えば、音。

イライラすると、食器を洗うとき、カチャンカチャンと大きな音を立てる。

引出の開け閉めも、大きな音を立てる。

自分がイライラしてるんだぞ、もっと気を遣えとアピールする。

不快なノイズをまき散らす。

これね、全部、つながってるですよ。

波になって繋がる。

この繋がりを感じている人は、静かだ。

動物を飼っていると分かる。

不快な音をたてると、耳がピクピクする。

その音は不快です、と耳で教えてくれる。

不快な言動もそう。

動物は教えてくれるのだ。

だから、私は、宅配便が予定日に来なくても、予定時刻に来なくても、別に何も言わない。

届けてくれたことに礼を言う。

ところが、世間は、ここぞとばかりに文句を言う人がいる。

言ってどうなるの?

言ってもどうにもならないのに、普段のストレスをぶつける。

それ、全部、繋がってるのに。

それが分かってない人は、不平不満の多い生活をおくっている。

単純な法則ほど気付かれない。

腹が立たないの?と聞かれる。

なぜ腹を立てねばならぬのか?

別になんとも思わない。

腹を立てるほどのことって、滅多にない。

イライラすることもない。

それよりも、面白いことの方が多いから。

今、目の前で、猫がウンチをした。

うちは猫砂ではなく、ペットシーツだ。

そのペットシーツを今、一生懸命カキカキしている。

そして見事に、ウンチを隠した。

臭くない。

本当に、猫は賢い。

さて、ウンチを片付けるとしましょうか。

我が家は平和だ。




犬林浴(いぬりんよく)

金星って惑星しってますか?

そりゃ知ってますよね。

ヴィーナスです。

女神です。

とっても美しい星です。

と、言いたいところですが、実際は死の星です。

温度500度、気圧は90、硫酸の雨。

ペンペン草も生えない死の星。

怖いですねぇ。

こんな環境で生きる生物なんていませんよ。

で、金星なんですけどね、かつては地球のように美しい星だったみたいです。

ひえ~~~~!

海があり、緑があり、おそらく生物も繁栄したかも。

嘘みたい。

なんで死の星になっちゃったの?

それはよく分からないけども、おそらく温暖化のせい。

二酸化炭素が大気中に増えすぎたせい。

え?

地球もですよね。

南極の氷で古代の二酸化炭素濃度を調べたら、今の濃度って300万年のうちで一番濃いそうです。

グラフで表わしたら、針が振り切れるほどの濃度。

濃過ぎ。

地球は今ビニールハウスの中にいるみたいな状態です。

二酸化炭素の層が地球を取り囲んでいる。

地球がね、冷えないんですよ。

地球温暖化、と言われている現象です。

で、このまま突き進むと、生物が生息できなくなっちゃうわけです。

ある一定の点、特異点ですね、これを越えたら、一気にきます。

加速がつくのです。

金星みたいになっちゃう。

死の星です。

この地球が。

こんなに美しいのにね。

地球もね、呼吸しているんだそうです。

地球だって、一つの生物らしいです。

窒息するんだって、地球も。

死んじゃうんです。

誰が殺すの?

人類です。

悲しいけど、人間が、地球を殺すんです。

じゃぁ、どうすればいいのか?

とりあえず、どうしようもない、が答えです。

CO2削減とかいってますけど、無理なんです。

人間が快適に暮らすためには化石燃料が必要なのです。

いまさら原始的な生活をしたい人はいません。

どうしようもない。

他の美しい星に移住するしかないわけで。

うーーーーん。

でも、迷惑ですよね?

他の美しい星も死の星にしちゃうだろうし。

とっても迷惑。

どうしてここまで脳が欲望を抑えられなくなっているのか。

他の動物をみると、お腹一杯食べたら、スヤスヤ寝てますよ。

満足そうに寝てます。

ライオンだって、お腹一杯食べたら、目の前にシマウマがいても襲いません。

のんびりお昼寝です。

人間だけ、どうしてこうなっちゃったのか。

共存共栄、できない。

CO2削減だって、そう。

削減すると国力が弱るんです。

国が、他の国に負けちゃうんです。

どんどん、どんどん、化石燃料を燃やさないと、競争に負けちゃうんです。

こういう問題は、どうしようもないなぁ、が答え。

なすすべ無し。

いつか特異点を迎え、一気に滅ぶのだろうなぁ。

他の生物を巻き添えにして。

人間ってさ、ひょっとして、もしかして、金星人かもしれないね。

地球人じゃなかったかも。

そう考えると、なんだか納得。

惑星が滅ぶまで食い尽くす。

そして、別の惑星に。

こんなことを考えつつも、そばで寝ている犬をみると、ついつい匂いをかいでしまう。

猫と違って、犬は匂いがある。

この匂いがたまらなく好き。

すごく落ち着く。

こんなに他の生物が愛おしいのにね。

どうすることもできない。

にんともかんとも。

靴ひも

小さい頃、本棚には百科事典があった。

本棚というより、3段ボックスを横にしたものかな。

家には2種類の百科事典があった。

赤茶色の背表紙のものと、青い背表紙のもの。

赤茶色の方は大人向け。

青い方は子供向け。

この青い方、ほんと何度も見た。

赤茶色の方はたまに見た。

動物の所が特に好きでそこばっかり見てた。

鳥の卵の色が本当に綺麗だったり、クジラの大きさ比べのページも大好きだった。

家は商売をしていたのでかまってくれる人もあまりいなくて、暇つぶしが百科事典だった。

動物の巻だけではなく、色んな巻もみた。

ある朝、母に向かって「グーテンモルゲン」と挨拶をした。

母が「なに?」と聞くから、

「ドイツ語でおはようだよ」と言ったら、困惑した顔をしていた。

保育園児がグーテンモルゲンというのは変だったのかな。

当時、にゃんころりんという4コマ漫画があって、それで文字は覚えた。

親が忙しいと、子どもは何でも独学です。

イソップもアンデルセンも小さなレコードがついていて、それをプレーヤーにかけて読みながら聞いていた。

こうやって書くと、孤独な保育園児である。

でも、誰にも邪魔されずに、色んなことに興味を持てたのは良かったと思う。

そして、こうして思い出すと、百科事典も、イソップもアンデルセンも、一通り揃っていたんだなぁ、と感心する。

何個かの3段ボックスを横に並べただけの本棚なのに。

その粗末な本棚と中身のギャップがすごいな。


何が言いたいのかというと、親がつきっきりで、何かを教えなくても良いんです。

子供は勝手に学ぶのだから。

好奇心は人それぞれ。

好きなものを自分で選択する。

その自由を与えるのが親の役目かなぁ。


今、幼児に論語の素読をさせるとか、なんとか・・・。

まぁね、いいですけどね。

だいたい、その親が論語が分かってるのかいな。

自分でもよく分からんものを子供に押し付けるはよくないと思う。

その親の欲がそもそも間違ってるのではなかろうか。

そして、選択したのが「論語」

分かるわぁ、論語って選択が、分かるわぁ。

いかにも、だわ。

欲望がね、詰まってるもの、論語には。

人間の業かな。

コントロールしやすいものね。

統治という観点でいえば、論語の方が都合いいもん。


私の知り合いの「靴ひも」の話をしよう。

その人は、小さい頃、ひも靴を履いていた。

玄関で靴ひもを結ぼうとすると、そばにいる大人が、「あらあらあら」と言いながら靴ひもを結んでくれたそうだ。

おそらく、おぼつかない手つきで結ぶ様子が大変そうに見えたのだろう。

で、その知り合いはどうしたのかというと。

大人がいなくなったのを確認して、靴ひもをほどいたのだ。

そして、自分の手で靴ひもを結んで「よし!」と満足して、外に出たそうだ。


大人は「良かれ」と思って、手や口を出す。

悪気はない。

悪気はないけれど、それは「悪い」んです。

なぜ、そんなにかまうのか?

それは、かまうことで自分の居場所を得ようとしているのではないのか?

必要とされる自分。

それは、支えがないと生きていけない人ではなかろうか。

そういう人が子育てをすると、大学受験も親についてきてもらわなくちゃいけない人間に育つ。

自立していない人間が、自立できない人間を育ててしまうのだ。


「一身独立して一国独立す」

福沢諭吉は良い事をいう。

しかし、この一身独立の難しさよ。


自立しない方が楽なんですよ。

「あらあらあら」と言いつつ、靴ひもを結んであげる方が楽なんです。

いつまでも赤ちゃん扱いする方が楽なんです。

自分も自立しない、相手も自立させない。

とても楽。

このワナ、奥が深い。

そして、このワナにはまって抜け出せない人も多い。


幼児に、論語。

ブラックジョークだなぁ。


子曰、唯女子與小人、爲難養也、

近之則不孫、遠之則怨。


子曰わく、女人小人養い難し。

これを近づくればすなわち不孫。

これを遠ざくればすなわち怨む。


笑える。

きっとこれは素読させないに違いない。

私はコレ好きなんだけどな。

孔子さんの好きなところは、こういう人間味のあるところなんだけど。

女性に苦労したんだろうなぁ。

ほんと、笑える。

織姫

前回、人間は原子でできている、と書きました。

こうやって書くと非常に単純かつ明快ですね。

スッキリします。

昔の人は原子が物質の一番小さな単位である、と思ったわけですね。

ニュートンさんなんかは、そう思ったわけです。

このニュートンさんですが、彼は意外にも、「神様」を探していたんですね。

物理学と神様ってちょっと結びつかないですけども。

神様がいることを証明したかったみたい。

なんかそう想うとニュートンさんも純粋な人だったのかなぁ、と。


で、原子ですが、後々、これが最少の単位ではないことが分かっちゃうわけです。

じゃ、最少のものって何なの?

これが、もう、わけのわかんないものなのです。

ある、ともいえないし、ない、ともいえない。

ビックリですよね。

原子でできている、と言うと、スッキリします。

しかし、その原子は、ある、ような、ない、ようなものからできているんです。

は????

私たちの体って、そんな不確かなもので構成されているの???

はい。

脳の中で想像することも困難なもので構成されております。

在る、とはっきり言えないものでできているんです。

神秘よねぇ。


ここで、老子第1章ですよ。


道のいうべき道は、常の道にあらず。

名のなずくべきは、常の名にあらず。

名なきは天地のはじめにして、名あるは万物の母なり。


いやぁ、ほんと、なんでこんなことを2000年も前に言えちゃうのかって。

老子ってほんと、怖いです。

名をつけるってことは、「在る」から名がつくわけです。

でも、在るのか、無いのか、はっきりいえないものだから、名をつけれないんですよ。

名をつけれないようなもので、天地はできちゃってるよ、と。

道、も同じ。

だから、道とはこういうものだ、と説く人がいても、それは道ではないですよ、と。


ほんと、老子ってすごい。

だって、ニュートンさんみたいに考えるじゃない?ふつう。

レゴみたいに、小さなブロックでできてるって。

でも、老子は、そうじゃない、と。

名すら、つけれないようなものでできてるんですよ、と。

なんで、こんなことが分かっちゃったんでしょうねぇ。

老子の中にでてくる大事なキーワードがあります。


「牝(めす)」「生まれたての赤ちゃん」「樸(あらき)」「柔(じゅう)」


こういったものを自分の中でつきつめると、道に近くなれるらしいです。

よく分からないですかね?

じゃぁ、反対のキーワードを書きます。


「牡(おす)」「外からの情報を意識した人」「加工されたもの」「剛(ごう)」


こうやって書くと本当に面白い。

現代そのもの、って感じです。

私たちは「道」からどんどん、どんどん、遠くなっていくなぁ、と。

私たちは本当に進化しているのだろうか?


ケーブルテレビでナスカの地上絵をやってたんです。

ナスカの地上絵、ほんとすごい。

動物の形もたくさんあるけど、幾何学模様がすごかったです。

地上でそこをみてもゴツゴツした岩があるだけにしか見えない。

でも、上から見ると、本当に綺麗な幾何学模様。

ほんと宇宙人が書いたのかな?って思っちゃいます。


私は、はるか昔の人達が、現代よりも頭が悪かったって思えないんですよ。

むしろ、逆じゃないか、と。

ナスカの地上絵を上から見ることができないと思い込む方が間違ってる。

じゃ、飛行機?気球?

それが現代人の脳の限界。

物理的に空を飛ばないと「見えない」と思いこんでる。

空を飛ばずに「観てた」んですよ。

みんなで描いて、みんなで観て、楽しんでたんです。

娯楽です。

恐らく、古代人の「祭り」です。


古代人も現代人も脳は一緒。

一緒なんだけど、使い方が違う。


2000年も前に書かれた老子を読めばわかる。

脳の使い方が違うなぁ、と。


じゃ、どうすればいいのか?

先ずは、猫を神様だと思おう。

うちの猫神さまはどこ?と思ったら、

すぐ後ろで寝てる。

いびきで気付きました。

いびきって、、、やっぱり太り過ぎ?

私たちっていったい何でできているのでしょうねぇ?

とりあえず、答えは、原子なんですけどね。

ちょっとピンとこないですよね。

だって、原子を寄せ集めたら、こうなりましたーってオカシイでしょ。

積み木をいくら積み上げたって、意思はもたんでしょ。

この意思をもってるってとこが、ちょっと不思議ですよね。

人間だけが意思を持つのか?

んなこたー、ないです。

猫も持ってるし。

きっと、木や草ももってるし。

石ころだって、おそらく。

不思議よねぇ。


天の川銀河の端っこの惑星で。

恒星じゃないですよ、惑星ですよ。

恒星だけでも、2000億個はあるらしい、この天の川銀河。

惑星の数ってどんだけですかね?

きっとすさまじい数でしょうね。

で、いま、ここ地球にはいろんな生物が生息しているわけで。


猫をみてると、ほんと、いろんな部位が可愛い。

あらゆるところが精巧にできていて、かつ、かわいい。

かわいくない所を見つけよ、ということが難しいくらい。

ま、全部かわいいんですけどね。

この「可愛い」って思う気持ちも不思議だな、と。

どこから湧いてくるのかな?

原子でできてる私の、一体どこから「かわいい」と思う気持ちが湧くんだろ?


で、原子でできてるんですよ。

猫も、人も、それ以外のものも。

組み合わせが違うだけで。

猫も人も、大部分が水素原子です。

あと、酸素と炭素と窒素です。

これで99%近い。

ほとんど構成要素は同じなんですよ。

不思議よねぇ。

だって、ここに、これらの元素があっても、造れないですもん。

かわいい猫を造りたくてもできない。

それだけ奇跡的に存在しているわけです。

猫だけじゃなく、地球上のあらゆる生物が奇跡的にできてる。

そう思うと、何もかもが、大切に思えますね。


で、その原子なんですけどね。

原子1個でも、すごいエネルギーを秘めているわけです。

アインシュタインさんの例のやつです。

もし、人間一人分の原子をすべてエネルギーに変えたら、地球なんて丸ごと吹き飛びます。

ちょっと驚きですよね。

そんなエネルギーを秘めているんです。

で、何が言いたいのかと言うと。

エネルギーとしての自分を意識すると良いかもよ、と。


静かな水面を思い描いてください。

そこに石をポチャンと投げる。

すると、波紋がサーーーーっと拡がっていきますね。

それ。

波がね、サーっと、拡がる。

そこを意識する。

そこを意識すると、体の動きも、言葉も、静かになります。


全ての言動、その人の持っている「気」までもが、波として伝わります。

どこまで伝わるのか?

きっと、それは宇宙の果てまでです。

この法則に気付いている人は、ちょっとだけラッキーです。


しかし、うちのニャンコ先生、ちょっと太りすぎ。

高い所から飛び降りると、「ドスン!」って音がする。

師匠として、それはどうか、と。

にんとも、かんとも。

根(ね)

私は神様の存在を信じています。

しかし、お守りなんかは、ゴミ箱にポイ~っと捨てます。

この、お守りをゴミ箱に捨てるという行為は、結構驚かれます。

で、神様を信じてない人、ということで結論付けられそうになるわけで。

「いや、神様は信じてる」と言うと、ますます「え~~~!」っとなります。


女性は縁結びのお守り、好きですよね。

ほんと、大好き。

あっちのお守りが効く(?)といえば、買いに行き、

こっちのお守りが、と言えば、また同様。

いや、あれは、ただの布だから。

結構中国製も多いのよ。

原価いくらよ?

ボロい商売だよ、ほんとに。


神様はいる。

神様はいるけど、お守りをゴミ箱に捨てようが、大事にしてようが、かまってない。

そんなことは神様にとってはどうでもいいことなんです。

厄払い5000円、お守り500円、おかしいでしょ?

戒名100万円?

クレイジーだよ。

なんでお金?

お金、いるの?

神社や寺の改修費?

なんでもらうの?

乞食なの?

働け、よ。

労働をして、金銭の対価を得て、それで改修しなさい。

そして、税金を納めよ。


うわ、またこういう事書いちゃった。

怒られそう。

でも、怒る人に尋ねたい、「なぜ怒る?」

怒るというのは、自分の中に「痛い所」があるから。

突かれると「うっ」ってなる場所があるから。

税金、払いなよ。

ほんと。


果たして、神様はどこにいるのか?

どこにでも。

神様にとって大切なことは?

寄り添うこと。

静かに、でも、全力で寄り添う。

そこに人間が気付くことはない。

例をあげましょうか。

花が咲いていたとして、だいたい、そこらへんに神様はいる。

そこらへん、というより、根のとこ。

根って地味でしょ。

土中に埋もれてるし。

誰からも愛(め)でられることもない。

でもね、根ってすごいんですよ。

土中に住んでる微生物と、一生懸命取り引きをしてるんです。

微生物さんに必要なものを与える代わりに、根に必要なものを微生物さんから頂く。

お互いに共存共栄です。

で、結果をして、綺麗な花が咲く、と。

誰が見てなくてもね。

何十億年も、そうやってきたわけです。

そのエネルギーってすごいですよね。


だからね、そういう事を感じて、すごいな~~~って思うことが「信心」です。

なんか、ありがたや~~って感じ。


いや、根だけじゃないんです、いろんなところに神様はいるわけで。

うちの猫神様もすごいです。

ほんと、ありがたや~~~って感じ。


8キロの猫神様を抱えると「いやーーーん」って鳴きます。

こっちも「いやーーん」だよ。

でも、降ろすと、また「抱っこしてくれ」とせがまれるわけで。

で、「いやーーーん」。

ほんと、腰が痛いです。

にんとも、かんとも、にんにん。

足る(たる)

恐らく、空海さんの時代は飢餓が多かったことでしょう。

人々が飢え、子どもができても喜ぶどころか、間引きを行っていたと思われる。

何のために生を受けたのか、そんな事を考える余裕もなく、ただただ空腹との戦いであっただろう。

そんな時代の空海さんの願いは、今、達成したと思う。

人々は美味しいものを食べ、子どもの誕生を喜び、食べる事以外の事を考える余裕もできた。

いや、空海さんの願いはそこじゃない、かもしれないけども。


でも、不幸ですよね?

不幸と決めつけるな、と言われるかもしれないけど、不幸ですよね。

年間自殺者、すごいですよね。

だいたい3万人といわれていますが、カウントの方法がおかしい。

遺書あり、24時間以内の死亡、で1カウントです。

遺書がなかったり、24時間超えて死亡した場合、ノーカウントです。

変死扱いかな?

本当の数など分からないけど、3万人ってこたーないですよ。

未遂まで入れちゃったら、もう、とんでもない数字です、きっと。

この事実から分かることが一つあります。

人間はお腹いっぱい食べれても幸せにはなれないんです。

もちろん、美味しいものを食べた瞬間は幸せです。

でも、それは揮発性だということ。

一瞬で消えちゃう。

持続しない。

この自殺者の問題はずっと放置されています。

電話相談とかそういうのはありますけどね。

これはね、資本主義と相容れないからなんですね。

資本家や商人たちの懐を潤すためには、この問題は放置するしかないんです。

理由は、「儲からなくなるから」


前にダイヤモンドの話を書きました。

貴重だ、希少だ、価値がある、と思わせておいて、めっちゃ埋蔵量があるという。

要するに、流通量を抑えて、商人たちが価値を創っているということです。

詐欺ですやん。

合法的だけど。

カラットがどうの、クラリティがどうのって言ってる人達アホですやん。

もう一回言います。

アホですやん!!

でもね、「婚約指輪は~やっぱりダイヤモンドよね~」とか言います。

ダイヤモンドは一例です。

こんな風に、商人たちが仕掛けてるんです。

脳がね、溶けてるんです。

なんで、脳が溶けてるんでしょうかね?

小さい子らが見るテレビってCMがエグイですよね。

吐き気がするくらいエグい。

こういうのを小さい頃から見ちゃうから、脳が溶けてる。


ちょっと前に聞いた話。

ある幼稚園児の会話。

「僕んちの車ベンツなんだ」

「へ~何クラス?」


5歳児ですよ、この会話。

5歳にして、脳が溶けてる。

でもね、この何クラス?って聞いた子の親って借金だらけですよ。

確かにこの子の親はSクラスだけども、銀行もお金を貸さないような個人事業主ですよ。

自転車操業です。

なんでベンツにこだわるかな~って思うけど、見栄なんでしょうね。

ヤナセの営業、ほんと上手いですからね。

この親にして、この子あり、の見本かな。


モノが浸食していくんです。

脳はデリケートなのに、小さい頃からこんな調子です。

「持ってる」=勝ち

「持ってない」=負け

分かりやすい勝負ですね。

でも、この土俵から降りるのって怖いんですよ。

この土俵で勝負する分にはルールも簡単だし、手軽に優越感に浸れますから。

この土俵の上にいる限り、自分自身で勝負しなくてすむわけですから。


I have nothing.

この事実に目を向けるのは本当に怖い。

素の自分。

これに向き合える人は少数です。


ここで老子です。

はい。


五色令人目盲、五音令人耳聾、五味令人口爽、

馳騁畋獵、令人心發狂、難得之貨、令人行妨、

是以聖人爲腹不爲目、故去彼取此


五色は目を盲(もう)ならしめ、五音は耳を聾(ろう)ならしめ、五味は口を爽(たが)わしめ、

馳騁畋獵(ちていでんりょう)は心を狂(きょう)せしめ、

難得(えがたき)の貨は行を妨げしむ。

是(ここ)を以(もっ)て聖人は、腹を為(な)して目を為さず。

故(まこと)に彼(かれ)れを去(す)てて此(こ)れを取るなり。


さて、どんな意味でしょ。

五色というのは、色とりどりという意味ですね。(青、黄、赤、黒、白)

五音もそうです。

五味も。

つまり、ひっくるめて、贅沢ということです。

馳騁畋獵(ちていでんりょう)とは、原野を駆け巡り、狩りをおこなうことです。

興奮状態という意味ですね。

難得(えがたき)の貨は、大金という意味ですね。


これは、そのまんま、現代です。

色も、音も、味も、興奮状態も、大金を求めることも、そのまんま現代です。

で、聖人は、腹を為して、つまり、内側ですね。

目を為さず、つまり、外側ですね。

彼(かれ)れを去(す)てて此(こ)れを取るなり。

外側をすてて、内側を取る、と。


これは、ほんとうに、老子そのもの、といった感じです。

外側よりも、内側。

内に、内に、入っていって、やがて、宇宙と一体となる。

これが、生命のエネルギーが一番輝くことだ、と。


ですね。

でも、これをやられちゃうと、モノが売れないんですよね。

立って半畳、寝て一畳。

こんなことされたら、モノが売れなくて、資本主義が崩壊です。


でも、私たちの存在って、資本家にとったら、ゴミですけど、

資本家たちのために生まれてきたわけじゃないですから。


こういう事書くと、共産主義者とか言われちゃうのかな。

もうね、すぐそういう単純なモノサシで人を計ろうとするアホがいるから困る。


私は猫教の信者です。

猫が神様。

猫をお手本として、生きる。

ただそれだけ。

情報と芸術

抽象画という芸術がある。

何を描いているのか分からない絵のことである。

小さい頃は、その価値がさっぱり分からなかった。

子供の落書きにしか見えないわけで。

しかし、ある一時期、ある一定時間抽象画が目の前にあった。

ぼーっとした頭でその絵をみると、ある日は炎に見え、ある日は踊る人達に見えた。

そして、ずーっとみていて、一つのことに気付いた。

「あぁ、飽きないんだ」

抽象画は、ぼーっと見てても、飽きない。

で、脳の中では、炎に見えたり、人間に見えたり、樹木に見えたり、するわけで。

何が描いているかはっきり分かる絵は、「それ」だけなので、初めは感動するけど、飽きる。

そのことに気付いたとき、面白い!と思った。

なんなのこれ?っていう方が飽きないのだ。

脳が。

抽象画を思いついた人はエライなぁ。

さぞかし勇気が必要だったことだろう。

上手い、っていうことから離れているから。

なにこれ?っていう非難も轟轟だったことだろう。


老子も抽象画に似ているなぁ、と思う。

さっぱり分からないから。

でも、何かが書いているわけで。

解釈本も沢山出ている。

で、その解釈に「?」となることも多い。

老子はヒーリングのための本ではない。

生きにくい世の中を、生きやすくするための本ではない。

何も優しいことは書いていない。

天地仁なし、万物をもって芻狗(すうく)となす。

天地に慈しみの心なんてない、万物がどうでもいい存在です。

これです。

このピシャリと頬を打つような感覚が老子にはある。

どちらかというと厳しい本です。

疲れた心を癒す本ではないです。

と、言っておきながら、

これも解釈です。

抽象画ですからね、どんな風にも読めるんです。

人は求めたいものを対象に映す生き物です。

鏡ですね。

だから、ヒーリングだと思えばそれもまた良しなのです。

これが抽象画の良いところ。


何かいいたいのかと言うと、これがアート(芸術)です。

脳をね、ひろーく使うのがアート。

いろんな部分が活性化するのが、アート。


この前、NHKで若者が本を読まないとか特集をしていました。

本て!!

めっちゃざっくりじゃないですか!!

雑だなぁ、NHKは。

あのね、情報とアートは違うんですよ。

欲しい情報をとる行為をインターネットでするか、本でするか、という事をやっておりました。

それは、情報!

みそ、くそ、一緒かい。


明治時代の人の本を読むと、すごく詩の引用が多い。

するすると、詩が引用されている、

呼吸のように詩がでてくるわけで。

日本の歌人、漢詩、西洋の詩、などが、するすると。

詩が日常だったのでしょうね。


結局、快楽なのだと思う。

快楽であるから、手を出す。

苦痛ならば、手は出さない。


情報を欲するのか、アートを欲するのか、その人次第。

脳のどこを使いたいかってことです。


ここで、好きな詩を引用します。


たのしみはまれに魚(うお)煮て児等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時


これは猫を飼っている人は好きな詩じゃないかな。

猫缶をあけて、お皿に入れると、とても美味しそうに食べる。

まさに「うましうまし」という感じ。

この歌人はとても貧乏で、たまにしか魚を食べることができなかったんですね。

で、その魚を子供たちが「うましうまし」と。

この瞬間をきりとった詩。

とても素敵。

NHKもね、本を読まなくなった若者とか、ざっくりとまとめるんじゃなくて、もっとこう、丁寧にあつかって欲しいなぁ。

にんとも、かんとも。



猫はため息をつかない

寵辱(ちょうじょく)には驚(くる)えるが若(ごと)し。

これ、前にも書きました。

寵愛と屈辱は人を狂ったようにさせる。

ほんと、これ。

何千年経っても、これ。

この強い鎖から解き放たれるのはいつの日か。

ここまでくるとDNAレベルのすり込み。

この結果もたらされるのは、激しい嫉妬。

人間が知性を持つ唯一の動物だと言ってる人、出てこい。

動物以下ですよ、実際。

理性も、知性も、へったくれもない。

激しい嫉妬を見つめられる勇気のある人はいない。

自分の心のヘドロを見つめる勇気のある人はいない。

理不尽な扱いを受ける人の身にもなってくれ。

ほんと迷惑。

ポジティブシンキングなんて、全て口先。

ネガティブじゃないですか、実際。

ポジティブシンキングで行こう、っていう人ほど、ネガティブ。

すごいネガティブ。

でも、勇気がないから、ネガティブを認めることができない。

何千年繰り返すの?


パトラッシュ、僕、もう疲れたよ。なんだかとても眠いんだ。


と、ネガティブなことを吐きました。


いやはや。

にんとも、かんとも。

人間、めんどくさい。

他人の評価に一喜一憂。

メシの種だから仕方ないのかな。


自分の心を整えるために、老子の中でも、一番素敵な詩を書こう。

ちょっと異色なんですよね、老子の中でも。

老子自体、ひょっとしたら、色んな人の書き足しがあるっぽいです。

だから、老子がとっても好きな人が書いた詩が混じったのかな、と思います。


絶学無憂、唯之与阿、相去幾何、
善之与悪、相去何若、人之所畏、不可不畏、
荒兮其未央哉、
衆人煕煕、如享太牢、如春登台、
我獨怕兮其未兆、如嬰児之未孩、
儽儽兮若無所帰、衆人皆有餘、
而我獨若遺、我愚人之心也哉、
沌沌兮、俗人昭昭、
我独若昏、
俗人察察、我独悶悶、
澹兮其若海、飂兮若無止、
衆人皆有以、而我獨頑似鄙、
我独異於人、而貴食母


学を絶たば憂いなからん。

唯(い)と阿(あ)と、相い去ること幾何(いくばく)ぞ。

善と悪と相去ること何若(いかん)。

「人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからず」と、荒兮(こうけい)としてそれ未だ央(きわ)まざらんかな。

衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春台(はるうてな)に登れるが如し。

我独り怕兮(はくけい)としてそれ未だ兆(ちょう)せざること、嬰児(えいじ)の未だ孩(がい)せざるが如し。

儽儽兮(るいるいけい)として帰(き)する所なきが如し。

衆人はみな余り有り、而(しこ)うして我れは独り遺(うしな)えるが若し。

我れは愚人の心なるかな。

沌沌兮(とんとんけい)たり。

俗人は昭昭(しょうしょう)たり。

我は独り昏(こん)なるがごとし。

俗人は察察(さつさつ)たり、我は独り悶悶(もんもん)たり。

澹兮(たんけい)としてそれ海のごとく、

飂兮(りゅうけい)として止(とど)まるなきがごとし。

衆人みな以(もち)うる有り、しこうして我れは独り頑(がん)にして鄙(ひ)なるににたり。

我れは独り人に異にして、しこうして母に食(やしな)わるることを貴(たっと)ぶ。



長いですね。

どんな意味でしょ?


他人からもたらされる価値観(常識)を捨てたら、わずらうことが無くなる。

「はい」というのと「うん」というのが、どれほどの違いがあるというのだ。

善と悪の違いがどれほどあるというのか。

「他人が恐れていることを、自分も恐れなければならない」というが、そんなことばかりやってたらキリがない。

衆人は嬉々として、生贄(いけにえ)を食べ、春の日に、高台から下を見晴らす。

われひとり、身じろぎもせず、何の兆しも見せず。

まるで、まだ笑うことを知らぬ嬰児のようだ。

ふわふわと、さだまらず、どこにも、くっつかず。

衆人は、余りあるほど所有している。

わたしひとり、からっぽのようだ。

わたしは、愚かにみえるだろう。

わたしは、なまくらにみえるだろう。

俗人は輝いている。

わたしひとり、暗くみえるだろう。

俗人は颯々(さつさつ)としている。

わたしひとり、悶々(もんもん)としている。

荒波にもまれ、吹きすさぶ風にあおられ、とどまれない。

衆人はみんな得意なことがあるようだ。

わたしひとり、他人からみて、得意なことがない。

しかし、わたしひとり、人と異なり、母なる宇宙と一体となることを貴ぶ。


2000年前ですよ、これ。

なんかすごくないですか?

こんな詩を書けるなんて。

まわりが皆、颯々としているときに、自分ひとり悶々といているわけです。

これはどういう事かと言いますと。

まわりは外に向かっているときに、自分だけ、内に向かっているということです。

内に向かうというのは、荒波にもまれ、強風にふかれ、非常にくるしい状況なわけです。

でも、その先にあるのは、宇宙と一体であるという、安らぎですね。

母親の母体の中いるときが、人間は、一番宇宙と一体となっている、というわけです。

このころの記憶は無くなるわけですが、恐らく、人間がもっとも幸せな時です。

ここに還ろうとするのが、老子のいうところの「道」に近い、ということです。

そのためには、内に内に向かうこと。

でも、簡単なようで、簡単ではない。

人間は笹船のような存在です。

くるくると世間に翻弄され、たよりない。

内に向かう勇気なんて、そんなものはない。

ねずみの国に行って、キャーキャー言ってる方が楽ですから。

そして、最初に戻りますが、

他人の寵愛や屈辱に一喜一憂し、嫉妬心で他人を攻撃するのです。

他人からの評価って、他人ですよ?

それが何?

他人が王なの?

自分の王は自分の中にしかいないです。

他人の王に従うよりも、自分の王に従いたい。

王っていうか、神様ですけどね。

その声に耳をすましたい。


世知辛い世の中に暮らしておりますが、他人に振り回される必要はないんです。


われひとり、猫をモフモフたり。

しあわせ、はここですよ。

モフモフたり。

出力

スティーヴン・ホーキングという偉大な理論物理学者がいます。

筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)という難病を患っています。

ALSですね。

で、スティーブン・ホーキングは、この病気にかかってから、最も長生きしている人です。

徐々に筋力が落ちていきますからね、かなり怖い病気です。

でも、脳だけは、元気なんです。

脳は筋肉じゃないですから。

だからこそ、怖いんです。

脳だけ正常で、あとは動かないって、逆に辛いと思うのです。

じわじわくる恐怖と真っ向から対面しなくてはならないから。

しかし、このホーキング博士、めっちゃ明るいんですよ。

常に、冗談を言って周りを笑わせるんです。

パーティも大好きで、どこへでも出かけます。

シャンパンもスプーンですくってもらって飲んでます。

介護者の女性の方も、これまた明るい。

恐らく、介護は大変だと思うのですが、そんな雰囲気を出さない。

どんだけメンタルが強いんだ、と感嘆する。

いつ死ぬか分からない、それはどうにもならない、とホーキングも介護者も開き直ってる風情です。

もっとすごい事に、ホーキングは雑多なことに煩わされずに研究に没頭できるからラッキーだと言っているのです。

普通の人達は、日常のアレコレに煩わされて、思考を中断させられるけど、自分は違う、と。

通常のものさしでは測れない人。

で、ホーキング博士なんですけどね、ちょっと前までは、手でカーソルが操作できていたんです。

それが、手も動かなくなって、今は頬の筋肉で操作しています。

そのうち、頬も動かなくなるらしい。

何度も言いますが、脳は正常なんです。

博士の脳の中には広大な宇宙が拡がっている、とのこと。

その広大な宇宙ですが、今のところ、出力は頬の筋肉を使った操作です。

ものすごくかすかな出力です。

で、それも不可能になったら?


こうやって考えると、なんでもそうなのかな、と。

樹齢2000年の樹が色々考え事をしていたって、私たちには受け取る術がない。

宇宙規模で広がる真理を追究していたとしても、出力がなければ、分からない。


私たちは人間の脳であれこれ考えて、色んな手段で出力をしている。

でも、出力装置がなかったら?

受信装置もなかったら?

そこには「無」しかない、と思うだろう。


でも、あるんです。

少なくとも、ホーキング博士の中には広大な宇宙規模の意思があるんです。

出力ができなくなるだけ。


それを「無」とはいわないだろう。

でも、受信できなければ、「無」と思う。


そんなことが、実はたくさんあるのかもしれないなぁ、と思う。

受信できてないだけ。


どんな物質だって、実は、いろんなことを考えているのかもしれない。


禅という興味深い思想がある。


西洋では、まず、自分が「在る」ということから出発する。

しかし、禅は、まず自分が「無い」ということから出発しようとしている。

「無い」状態にすると、まわりの物質と一体になれる、と。

面白い。

こういう、何も役に立たないことって面白い。

屁の突っ張りにもならない。

でも、ここにしかないじゃないかな、って思う。

何が?

突破口が。


私たちはもう一度「混沌」に戻る方が良いと思う。

混沌とはなんぞ?

これは、荘子ですね。

簡単に訳すと。

南に儵(シュク)という帝がいて、北に忽(コツ)という帝がいた。

中央の帝は混沌(コントン)という。

あるとき、シュクと、コツはコントンに所に行った。

コントンはシュクとコツを歓迎した。

シュクとコツはたいそう喜んでコントンにお礼がしたいと思った。

「人間には7つの穴があって、その穴で見たり、聞いたり、食べたり、息をしたりしている。
コントンには何もない。よし、コントンのために穴を空けてあげよう」

シュクとコツは、一日一個、コントンに穴を空けた。

七日目にコントンは死んだ。


荘子もなかなか面白い。

混沌は、混沌のままでよかったわけです。


人間が、この混沌に向かおうとするのが、禅なのかな、と。

私の解釈ですけどね。


出力装置のない物質。

「無い」と観るのか「在る」と観るのか、面白いですねぇ。





DNA

日本は、文字のない時代が長かったようです。

いや、あったと言う人もいるでしょうが、とりあえず、なかったというのが正解でしょう。

長い間、文字をもたない日本人はどうしていたのか?

言葉はずっと古くからあったようです。

文字はなくて、言葉はあった、と。

で、記録、なんですけどね。

なんらかの記録をするときに、何を用いたのか?と。

それは、おそらく、「縄」です。

縄に記録を残していたのではないか、と。

まぁ、勘の良い人は、神社のしめ縄を思いつくでしょう。

縄に記録するのは、契約に関することのようです。

約束ですね。

何らかの約束をした証に縄を結ぶのです。

この縄を記録に使うという文化はちょっと面白いですね。

日本だけじゃないんです。

実は、インカ帝国も「キープ」という縄を結んで記録をしていたのです。

インカ帝国のキープは非常に複雑で、いろんな情報を縄に記していたわけです。

ちょっと複雑すぎて、いまだに解読はできていません。

で、もっと興味深いことに、インカ帝国の人と、日本人は結構近いみたいですね。

DNA的には親戚っぽい、と。

ちょっと興奮しません?

キープによく似たものを継承しているのは、沖縄ですね。

割と近代まで、縄を使って記録をしていたようです。

ちなみに、インカ帝国も文字はなかったのです。

ふふふ。

で、ここで老子です。

え?ここで老子?

という、いつものパターンがでてみたり。

かなり興奮する記述があるんですよ。

この老子80章は、老子の考える理想国家について述べているんですね。

老子の考える理想国家とは、どういうものでしょう?

小国寡民、使有什伯之器而不用、
使民重死而不遠徙、雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之、
使人復結縄而用之、甘其食、美其服、安其居、楽其俗、鄰國相望、
鶏犬之聲相聞、民至老死、不相往來。

小国寡民(しょうこくかみん)には、什伯(じゅうはく)の器有りて而(しか)も用いらざらしめ、
民をして、死を重んじて而(しこ)うして、遠く徙(うつ)らざらしむ。
舟輿(しゅうよ)有りと雖(いえど)も、之(これ)に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を徒(つら)ぬる所無し。
人をして、復縄(またなわ)を結んで、而うして之を用いしめ、
其(そ)の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、
其の居に安んじ、其の俗を楽しましむ。
鄰国(りんごく)相(あ)い望(のぞ)み、
鶏犬(けいけん)の声聞こえて、
民は老死に至るまで、相往來せず。


国は小さく、民も少ない。

戦争に使う道具はあっても、これを使うことはない。

民の生命を大切にし、遠くに移住させることもない。

船や車があってもそれに乗ることもない。

鎧や兜も並べることもない。

もう一度、太古の人達が縄を結んだ世と同じように、

素朴な食を美味しいと思い、

素朴な服を美しいと思い、

素朴な家で安らかに暮らし、

素朴な暮らしを楽しいと思えば、

鶏や犬の声が聞こえるほど、隣国は近くても、

死ぬまでその国を離れることななく、行き来することもない。



どうですか?

これ。

すごくないですか?

老子って2000年前くらいの書ですよ。

老子恐るべし。

でも、ちょっと悲しいのは、老子の時代ですら、そうではなかったということです。

人々は、戦争をし、グルメに走り、華美な服装を好み、豪華な家に住みたがり、遠くに出かけたがる。

2000年前でもね。

もう、どれくらい繰り返せば良いのでしょうかね?

老子の理想の国って、はるか昔の、日本の暮らしってことですよね?

どんぐり、を食べて喜んでる日本ですよ。

ハマグリなんかを、「捕ったど~~~~」と喜ぶ日本ですよ。

縄を結んで、それが何かの約束だった日本です。

縄文時代の埋葬などは、とても手厚かったみたいですね。

副葬品としての土器も、来世への祈りがあったようですね。

ありと、あらゆる、DNAが混じっている日本人。

それは、いろんな種族を根絶やしにせず、受け入れてきたからです。

決して、単一民族ではないんです。

むしろ、ハイブリッドです。

キリストだって、アッラーだって、受け入れます。

800万の神様の一人ですから。

あの民族は好かん、あの民族は気に食わない、などとは言わないのです。

そんな小さな心の民族ではないんです。

色んな国の文化を尊重し、受け入れてきました。

そういうのをね、ちゃんと、心に刻んでおかなくちゃね。

一人、一人の、心の中に入っている神様の存在を感じてください。

私の中の神様は、本当に、人見知りで、偏屈で、ちょっと困った神様ですけどね。

800万もいますからね、いろんな性格の神様がいます。

うちの猫神さまは、今日も元気です。

体重8キロはちょっとどうか、と。

にんともかんとも、にんにん。

猫のひげ

ある日、夜空を見ると、オレンジ色の綺麗な星があった。

夫に聞くと、木星だという。

おお~~~!あれが木星!

ありがたや~~~~~~!

思わず、拝む。


その、ちょっと前に、ケーブルテレビで面白い番組をみた。

地球に落ちるかもしれない隕石の大部分を木星がひきつけてくれているというのだ。

もし、木星がなかったら、地球には隕石がばっこんばっこん落ちているかもしれない、という話。

ほぉおおおおおお!


昔、さよならジュピターという映画がありまして。

ご存知の方もいらっしゃるかと。

どういう内容かと申しますと、人類のために、木星を爆破するという話です。

ハッハッハ。

木星さん、ごめんなさい。



木星さんは、密かにがんばってくれてるんですよ。

だまって、隕石を引きつけて、受けてくれている。

カッコイイ。


こういう事って結構ありますよね。

月もそうです。

もし、月がなかったら、地球の地軸は安定しません。

地軸が安定しないということは、コマが止まる前のように、ぐらんぐらんするということです。

ぐらんぐらん、するということは、気候変動がすさまじくて、人間はもちろん、大部分の生物は死にます。

月のことを、「お月様」といいますね。

まさに、「様」です。

木星も、「木星様」ですね。

ありがたい存在です。

地球の周りをとりかこんでる磁場もそうですね。

大気もそうですね。

地球を守ってくれているんです。


こびとの靴屋という童話がありますね。

夜中に、こっそり、靴をつくってくれるお話しですね。

こういう、影ながら、がんばってくれている、っていうお話が大好きです。


人間は無自覚です。

いろんなものから守られているのに、気が付かない。

ほんのちょっと、そのバランスがくずれたら、人類なんてすぐに絶滅です。


猫のように生きるのが最善です。

そ~っと音を消して静かに生きる。


人間もね、かつては、そ~っと生きてたんです。

海の幸、山の幸を頂きながら、そ~っと生きてたんです。

おそらく、人間が、一番幸福だった時期です。


どこで狂ったのでしょう?


それは、おそらく、抽象化、とう概念が芽生えた時からです。

猫も、犬も、抽象化はしません。

これをするのは人間だけです。

一番、原始的な抽象化は、「数」です。

数を数えるとはどういうことか?

たとえば、猫を数える。

うちの家には2匹。

これが抽象化です。

2匹いるけど、一個、一個は別の個体なんです。

これを2、と数える。

で、どんどん、どんどん、大きな数字を扱えるようになった。


ちょっと分かりづらいですかね?

抽象化の恐ろしさが伝わりますかね?

ちょっと例をあげましょうかね。


例えば、戦争で100万人死にました、という場合、なんとなく「へぇ」としか思わないですよね。

でも、お父さんが戦争で死にました、とか、息子が戦争で死にました、という場合、どうか。

痛いですよね、心が。

とても痛くなる。

100万人というのは抽象です。

でも、その中は、だれかのお父さん、お兄さん、息子さん、であったりするわけです。

一人、一人が、誰かの家族なわけです。

数で表わされる存在ではないんです。

でも、数で表わしちゃう。

なぜ?

便利だから。

数は便利です。

数という概念が生まれて、人の争いは大きくなりました。

なぜ争いが大きくなるのか?

それは残酷になれるからです。

一個の個体として尊重するのではなく、「1」という数字になっちゃうから。

1という数字をどうしようと、あまり心が痛まないですから。

いくらでも残酷になれます。


数字が生まれ、数学が発達し、宇宙にも行けちゃう。

とても良い発見でした。

でも、そこから、大いなる不幸が生まれた。


1は命なんですけどねぇ。

2は、命、命、なんですけどねぇ。

どうしたものかね。


無自覚すぎる。


うちの猫のひげも、何かの役にたっているのかね?

すごく短いけど。


とりあえず、木星さん、ありがとう。

あなたはとても美しい。
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